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第一ペテロ1:8~9
- 2009年9月13日
■ 救いの力 / 第一ペテロ1:8~9 (2009-09-13)
イエス・キリストは一つの魂のために、神から遣わされ十字架に架けられ、そしてよみがえられた。 確かに人類すべてのためであるが、ミクロのレベルにまで彼は降りてくださった。 故に、私達は1対1でイエスに向かえ会えたのである。 ...
第一ペテロ1:5~7
- 2009年9月6日
■ 試練(テスト)は恵み / 第一ペテロ1:5~7 (2009-09-06)
ペテロの手紙を読んで感じたことがある。 それは、この手紙の宛先であるトルコ地方のクリスチャン達が、決して熟練した信仰者たちではなく、信仰歴の浅い人たちであったと想像できることである。 だが、現代の私達日本人がクリスチャンになったにせよ、少なくとも5年若しくは10年以上、...
使徒の働き3:1~10
- 2009年8月23日
■ 私に有るものをあげよう / 使徒の働き3:1~10 (2009-08-23)
ある午後、ペテロとヨハネは祈るため神殿に詣でた。 「美しの門」にさしかかったとき、そこに一人の生まれつき足の不自由な男がいた。 彼は人々から、哀れみの何がしかを貰って、生きて行くしか道はなかった。 聖書は彼のことを「そこに置かれていた」と語る。 ...
使徒の働き16章16~34
- 2009年8月16日
■ この現実だからこそ神をたたえる / 使徒の働き16章16~34 (2009-08-16)
原始キリスト教会が歩み始めた頃、つまりキリストの弟子達、そしてパウロたちが地中海沿いに、ローマに向かって伝道していた頃、伝道そのものは実に悲喜こもごもの道であった。 伝道すれば当然救われる人々が起こされる。と、同時に迫害がやって来る。 ...
第一ペテロ1:1~4
- 2009年8月9日
■ 嵐の中で平安を知る / 第一ペテロ1:1~4 (2009-08-30)
台風の中に平安があるだろうか。 ハリケーンの真中に平安があるのだろうか。 現実の天災はともかくとして、人生にも嵐は来る。 特にそれらは突然やってくる。 思いがけない出来事、突如襲う悲しみ、苦しみ、不条理にしか思えない出来事は、いとも簡単に私達を打砕く。 ...