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申命記30:9~20
- 2012年1月1日
■ 2012・主はわがいのち / 申命記30:9~20 (2012-01-01)
今年は一月一日が日曜、つまり主の日と重なったので、元旦礼拝であった。 幾年かに一度だけ、こういうときが訪れるが、やはり意味あるものである。 一年で最初の礼拝に向かうとき、毎年心に迫り来る聖書箇所がある。 それは申命記、モーセがはるかに約束の地を見ながら、当人の思いとは...
申命記10:12~22
- 2011年1月30日
■ 生々しく生きて、枯れて死ぬのも悪くない / 申命記10:12~22 (2011-01-30)
旧約聖書が語る神さまと、新約聖書の教える神さまが同じ方だと思えないときがある。 そう感じる人は決して少なくないであろう。 確かに旧約聖書は律法的である。 だが、旧約の厳しい言葉も、神の愛の迫りゆえと思うと、納得できる。 ...
申命記11:8~18
- 2011年1月16日
■ 乳と蜜の流れる地 / 申命記11:8~18 (2011-01-16)
旧約聖書の前半に多く登場する言葉がある。 それは「乳と蜜の流れる地」である。 それほどに潤った肥えた地、という意味である。 イスラエル人は先祖に約束された「神がアブラハムに与えられた土地」を生まれて初めて見たとき、そう思ったのである。 ...
申命記8:1~20
- 2011年1月2日
■ 試練と喜びを同時に下さる主 / 申命記8:1~20 (2011-01-02)
2010年、新聞やテレビを通して伝えられるニュースを振り返ると、総じてこの世は良い方向に進んでいないことが目立つ。 争いごと、貧困と飢餓、自国中心主義、自然の猛威と襲来、次々と尽きない日々の連続であったが、だからこそニュースになるのであろう。 ...
申命記12:1~12
- 2009年1月4日
■ 神は愛なり / 申命記12:1~12 (2009-01-04)
年末から新年に変わるとき、何故か私は毎年、申命記の最後の章が心に浮かぶ。 どうしてか分からないが、過ぎ去った時間と、今、新しく始まる時代との境に置かれたからだと思う。 申命記34章、モーセが神のご命令によってネボ山に登り、ピスガの頂から目の前に広がるカナンの地を見させられ...