■ 「べテルの祭壇」 /創世記 35:1 ~ 15
- 旧約聖書/創世記
- 2004年3月21日
- 読了時間: 2分
私は以前、「あなたはヤコブそっくり!」と家内に言われたことがあります。私の中での「ヤコブ像」は、「祝福を大切にする人」「賢い」「女性にもてた」などのイメージがありましたが、家内に言わせると「ずるい」「人をだます」などと言う、マイナーどころか最悪のイメージのものでした。まあ、あながち外れてなかったのですが、それ以来私はヤコブが好きになった、というわけです。
創世記34章には大きな問題が記されています。ヤコブの子供達が地域に住む住民達に対し凄絶な殺戮を行い、父ヤコブは大いに心を傷めました。それは土地一帯の住民感情を怒らせ反感を買った結果、ヤコブという一族が、この世から完全に抹殺させられる危機に陥ったのです。ヤコブは大きな不安と恐怖に包まれました。
そのようなヤコブに対し、神がいわれたことは「ベテルに上って、神のために祭壇を築きなさい。」というものでした。昔、行き詰まったヤコブに神が現れ、「わたしはあなたと共にいて、あなたを守り、あなたを捨てない」と約束された場所がベテルでした。
私たちは「悩みのために」「信仰のために」「癒されるために」教会に行き、または祈り会に行きます。しかし、「・・・のために」ではなく、「まことの神、主のゆえに」と言って、礼拝し祈りと賛美を捧げるのが本筋ではないでしょうか?それこそが、まことの神を知った者の目指す姿と思います。この身の弱さと汚れ、十字架によって赦される以外に道なきこの身と心なのです。
神はヤコブの心の恐れを知っておられましたが、敢えて語られたのです。「わたしのための祭壇を」と。人間はそこにおいて「どこにどう生きるべきか」が自ずと示されるのです。いかがですか。あなたもそれを体験してみませんか。
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