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■ 「信仰と不信仰は対峙し続ける」 / ヨハネの福音書20:19~29

私はクリスチャンにならせていただいて26年、牧師として10年になりますが、自分の中を眺めてみると、信仰者なのか、不信仰者なのか、と立ち止まってしまうことがあります。
 可哀相なのは、教会のメンバーです。こんな者をよくもまあ10年も信じてくれて、日曜の講壇をまかせてくれましたから。いいえ、皆をだましている、とかの問題ではありません。勿論、イエスさまと天の父を信じてはいても、「じゃあ、それってどれくらい信頼しているの?」って聞かれた場合、100%近くの確信をもって、「まったき信頼をしています」と答えられないのです。と、すると、足りない部分がやたら大きく迫ってきて、「すみません、私は不信仰者です」と言わざるを得ない。まったく困ったものです。
 

 

イエスが墓からよみがえり、弟子達の前に現れ、ご自身の手と足の釘のあと、わき腹の槍のあとを見せた時、弟子達は本当に喜びました。やはり、主は十字架に掛かる前、いつも言っておられたとおり、「わたしがいのちです。よみがえりです」と、確信したのです。ところが、弟子達の中で、トマスという男はその時、不在でした。皆は口々に言います。「俺は主を見たぞ!」「おいらも見たぞ!ァメイジング・グレイス!(ぶったまげた!)」。トマスは一人、蚊帳の外、そして言いました。「俺は絶対信じない。この手を、この指を、イエスさまの手と足の釘の穴に差し入れて、触って見なければ」。そして彼は1.週間、悶々としたのでした。
 

 八日後、ドアは閉まっていました。今度はトマスもいました。イエスは皆の真中に立ち、言われました。「平安があなた方にあるように」。
 

嬉しいですね、この言葉。そうなのです。私達にはこの平安がないのです。それも、神様が下さる平安が、です。人間にとって一番淋しい部分がここに存在します。でも、人はここに気がつかない、のです。「お金もそこそこ、住む場所も明日のご飯も、別に心配ない。
 他に何が必要なの?」
 

イエスはトマスの前に立ち、いわれました。「あなたの指をここへ。あなたの手をここへ」。
トマスは叫びます。「我主!我神!」。イエスはいわれます。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
トマスは当初断言したように、『指をイエスの手の釘あとに差し入れた』と聖書は書いておりません。彼は咄嗟に心を置き換えることができたのです。その時、信じない者から、信じる者へと変えられたのです。自分の努力でありません。
トマスは人間の弱い部分(言い換えれば強い部分)に心をまかせました。この問題が解決したら神を信じる。この人が救われたら、私の信仰はもっと強くなるのに。この子が立ち直ったら、伴侶が変えられたら・・・神を信じられるのに。
 

 

 

 

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