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■ 「暗闇の祈り」 / ヨナ書1:14~2:10

神の御顏を避け、期待と命令に反してヨナは逃げましたが、神の愛と召しは変わりせんでした。そうです、いつもそうなのです。神は御自身を偽ることも、裏切ることも出来ません。人間とは大違いです。本心と建前という、サーカスの二頭立て乗馬のように自身を使い分ける私たちとは天と地の差があります。ヨナは人身御供となって船から海へ放り込まれますが、神は魚を備えてヨナを助けました。ヨナにして見れば助けられた、という実感は毛頭なかったはずです。100%の湿度の中、暗く臭いであろう大魚の腹でした。

ヨナが置かれた場所は絶望という世界でした。しかし、暗闇と絶望はヨナの心を神の前に導いたのです。これが神の助けの背後に位置する、みわざの大きな一面です。私たちにしてみれば、その時点ではお世辞にも援助と思えなくても、長い月日の後に冷静になって振り返れば、やはり解決に至る岐路であり救いの岩なのです。あなたの人生を振り返ってください。あの困難の時間、何があなたを立ち直らせましたか?絶望の中に脱出の道はどのように備えられましたか?もし今、試練の嵐にもまれているあなたでしたら、神の助けと備えを信じて神を呼んでください。主はご自身を呼び求める者を、決して放っておかれません。

ヨナは暗闇に叫びます。願いと祈りが叫びとなって、闇に消えていきました。彼は自分の以前が走馬灯のように頭の中を巡っています。主に仕え、主をたたえ、心から喜んでいたあの日の自分にもう一度めぐり会いたいと叫んだのです。水が彼の喉をふさぎ、大波が彼を飲み込み、深淵が彼を取り囲んだのです。ヨナの神に対する背信は彼を絶望の淵まで追い込みました。しかし、主に向かって叫ぶ者を神は見捨てないのです。「主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。」と聖書は語ります。

今日の日本社会、残酷でおぞましい出来事と事件ばかりです。道徳や倫理は下水に流されたような現状です。すべての人間関係にひずみと亀裂が入っている感さえします。まさに魚の腹の中に置かれた様な日本人社会です。血と肉はゴッチャになって臭みが漂っています。

神はヨナ書をもって、私たちに警告しています。金銭、恨み、憎しみにまつわる暴力、殺人、そして性モラルの堕落が代表する日本人社会の悪は、神の前に立上っているのです。

この国に必用なものは、世界中でバイブルと呼ばれる神の言葉です。罰則でモラルはもたらせませんが、バイブルはできます。社会道徳で愛を語るには限界がありますが、バイブルは無限の愛を示します。そして崩壊する人間関係と命の尊厳に光と救いをもたらすのは、聖書だけなのです。

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