■ 鍬を恐れぬ畑地となれ /  マルコの福音書4:1~20 (2005-02-13)

イエス様は、天の国のすべてを「たとえ」をもってお話されました。「たとえ」は私たち聞く側を二つに振り分けます。先ず、心を創造主に開いて聞くと、とても分かり易いのですが、心が閉じられている人は、ますます分からなくなるのです。この世の道理と常識感で考えると、信じられるものではなくなるのです。本当に幼子のようになって、へりくだるなら「言われていること」が素直に理解でき真理が伝わってくるのです。通常「たとえ」は一つの真理を強調するために語られますが、イエスさまの「たとえ」は非常に興味深いものです。それは彼が天から来られた方からです。

四人の人がいました。それぞれとても変わった名前でした。それは、道端さん、岩地さん、いばらさん、良い地さん、と言います。でも、この人たちは、ごく普通の人でした。ある日、神さまはこの世界に「福音の種」と言う、これまた変わった種を蒔かれました。種はたくさんでしたし、あらゆる人の上に落ちました。

道端さんの上にも落ちたのですが、彼はまったく関心を持たなかったので、折角落ちてきた種は、直ぐに悪い鳥が持ち去りました。彼は自分のことしか頭になかったので「福音の種」は別のものでしか、なかったのです。

岩地さんの上にも落ちて来ました。彼女は喜んで種を持ち帰り、自分の花壇に蒔きましたが、家庭生活に問題があったため、蒔いた種に水をあげることをせず、種は芽を出しませんでした。彼女の喜びは瞬間的だったのです。見ると、彼女の花壇はどこも荒れ放題でした。

いばらさんも喜んで種を持ち帰り、小さいけれど自分の家庭菜園に蒔きました。でも、隣の菜園のオーナーは彼女の蒔いた「種の名前」のことでケチをつけ始めました。普段から周囲との関係しか頭にない彼女は、このことで関係が壊れると困ると考え、せっかく蒔いた種を掘り越し、ドブに捨ててしましました。いばらさんは、少しがっかりしましたが、直ぐに気分転換をして世間付き合いに没頭しました。

良い地さんは、しっかりと種を受け止め、自分の畑に蒔きました。彼は普段から畑に肥料を絶やさず、除草していたので、「福音の種」は見る間に芽を出し、小さいながらも彼の畑は大きな収穫を得ました。その収穫量は蒔かれた種の60倍、100倍にもなったのです。

このお話は、四箇所の場所に蒔かれた、「神のことばという種」がどのようになったかをイエスさまが言われたものです。どうか聖書から、じかにお読みくださいますように。イエス・キリストは今日もあなたの人生に種を蒔かれています。私たちは自分の心のおもむくままに、選択できます。二度とない人生です。仮に貧しくとも、豊かな人生を送ることができます。また、裕福な富に囲まれていても、貧しい人生を送ることも出来ます。 イエス様は私たちに天国への道を備えてくださいました。たとえ今がいかであれ、私の名が天に刻まれていることを考えるだけで、心はうきうきしてきます。キリストにあって限りない未来があるということが、この人生に希望と忍耐をもたらすのです。

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