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■ 向こう岸で起こったこと / マルコの福音書5:1~20 (2005-04-24)

イエスは何故、敢えて弟子たちと危険な目に会いながら、向こう岸へ渡ったのか。聖書を読んで行くと、やがて見えて来る深い真理に出会う。先ず、向こう岸の異邦人の村で、イエスの一行を出迎えたのは、村長や土地の権力者ではなく、「汚れた霊にとりつかれた」危険な男であった。異常な力を発揮し、夜昼なく叫び続ける男で、誰をもってしても抑えきれないのであった。だが、彼はイエスを出迎え、イエスを拝した、のである。そして、彼はイエスに懇願した。「いと高き神の子のイエスさま!あなたは私に何をされようとするのですか?神の御名によってお願いしま。私を苦しめないでください。」と大声で叫ぶのあった。汚れた霊であるからか、それとも悪の霊であろうと、霊は霊を見通すのか。彼に取り付いた霊は、神の霊に満たされたイエスを見透かしている。それとも、彼自身がイエスによる以外、救われようがないことを悟った彼自身の内なる声であったろうか。なんとも不思議な男の言動である。
 

だが、この場面は私達にとって無縁なものではない。聖書は決して意味のないことを書いていない。これは、彼の内面の葛藤を如実に語り、信仰に生きようとする我々の生身の人間と、聖霊に呼ばれる魂の迷いが激しく交錯し、混沌の中で光を求めようとしている人間の正直な叫びを聞くのである。彼は決して意味不明の言葉を叫んではいない。それは正直な彼の内なる声なのである。あなたにそのような過去がなかったであろうか。もしかしたら、誰かが今、そんなところに置かれていないだろうか。苦しい心を抱えつつ、しかし表面は平静に生きようとしている自分、辛い時間と日々である。神の憐れみを知りつつ、しかしそう生きられない、また生きたくない己の内なる戦いは誰も分かってくれないが、キリストは分かってくださる。彼は湖の向こうから、たった一人の魂のためにさえ、舟を出してくださる方なのだから。

 

この男が取り付いた霊から解放された後、イエスについて行くことを願った。しかし、イエスは彼に言う。「帰って、神があなたにしてくださったことを、あなたの家、あなたの家族に伝えなさい」と。これが「証し」の意味であり、証しの真骨頂である。詩篇66:6は言う。「神が私の魂にして下さったことを語ろう」と。
 今がどんな地獄であろうと、それを過去にしてくださる神がおられる。混沌とした人生でさえ、いやそんな人生だからこそ、近寄って慰めと励ましを下さる神がおられる。その方はイエス・キリストである。兄弟、姉妹、あなたの内を誰よりも知っておられ、心配してくださっている神がいることを覚えて欲しい。
 

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