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■ 父の日・悩みの日々にも神の前を生きる / 創世記3:22~4:16、4:25~26 (2005-06-19)

June 19, 2005

今日は「父の日」。と、言っても母の日があるのに、父の日がないのは不公平であるからか、または、デパートなどにとって絶好のチャンスだからか、どことなく実感が来ない。父とはどうも死んでから存在感がわいてくるような立場に置かれてなんとも哀れである。
 

 最初の人、アダムは妻を伴って、エデンの園を追い出された。人間にとってこれ以上望みようがないエデンの園であったが、彼らは自ら蒔いた種を刈り取らざるを得なかった。夫婦は第二の生活の場で、息子に恵まれた。名前をカインとつけた。思えばカインは人間によって生まれた最初の人間である。息子の誕生に際し、アダムはこう言った。「私は主によって男子を得た」。神の言葉に従えず、神によって制裁として園を追われた身。思えば多少の恨み言の一つも言いたかったであろう。なにしろ、たった一度の過ちであったのだから。

 

だが、さすが神が直接造ってくださったアダムである。神の恵みを忘れてはいなかった。彼はしっかりと神に栄光を帰した。「主によって・・」と告白し、人間の可能性ではあっても、命の創造が神のわざであり、神の力によるものとして認めている。これは、神さまにとって本当に嬉しいことであったのではないかと思う。と、すれば我々が自分を振り返ってみて如何なものだろう。生まれて来られた事からして、神に栄光を帰していないのでは。生年月日を書類に記すたび、主に感謝しているようなクリスチャンがいるだろうか。そこは感謝の出発点であるのだから。

 

アダムには二人目の息子が生まれた。アベルと名をつけた。二人の息子は父アダムの後姿を見ながら成長した。それぞれ自分で仕事を持ち、自立の道へ進んでいた。収穫からは神への感謝を忘れず、農業と牧畜に精を出した。ある年のこと、収穫の中から神への感謝を捧げる日が来た。二人とも神に捧げるべく持ってきたのだが、神はアベルの捧げ物を喜ばれた。どこがどう違ったのかは、分からない。但し、聖書は一言だけ告げている。「アベルは最良のものを、それも自分自身で持ってきた。」この言葉は私達にもかぶさってくる。果たして、後ろめたいものがあるか、どうかである。
カインは弟を妬んだ。腹の中は激しい憎しみと化し、弟を殺した。渇いた地にアベルの血が流され、やり場のない悲しみの血は神に向かって叫んだ。主はその叫びを聞かれた・・・
 

成人となってその人生を神の前に生きて欲しい、とアダムは願った。自分がエデンの園において犯した神に逆らった轍を、せめて息子達にだけは踏んで欲しくないと思っていたことであろう。しかし、父の願いは届かなかった。この事件は極端な事例である。しかし、信仰の道を歩んでいる父達にとっては、やりきれない出来事であり、他人事では済まされないのである。その子供たちにあって「貧しくてもいい。一度の人生だから、どうか神の光の中を歩むものであって欲しい。」がキリスト者の父の絶え間ない祈りである。
 

 父という存在は雲、のようなものである、と少し前に読んだ本にあった。ふわふわして、存在感が薄い。特に今の時代はそうであろう。しかし、聖書において父という存在は大変な価値あるものなのだ。家族を神の裁きの剣から守るべく、身を挺してかばうべき立場である。男性特有の包含するような考え方と受容性。これだ、と決めたら意地でも動かない頑固さと、迫りくる試練に耐える強さは神から与えられた特性である。

 

アダムは耐えた。苦しみに満たされた現実の日々の中でも、神を信じ続けた。聖書は4章の事件に対し、アダムの心を記さない。記さないからこそアダムの苦悩が浮かび上がってくるような思いがする。父とは、そういう生き物でもあるのだ。やがて暫くの後、神はアダムに新しい子供を賜った。
ここでも聖書はアダムの、その時の言葉だけ記している。
 「カインがアベルを殺したので、アベルの代わりに、神はもう一人の男の子を私に授けてくださった。」(創世記4:25節)苦しい胸のうちを敢えて語らないところに、神への悲痛な呻きを感じる。
いかなる試練も耐え、やがて訪れる平安を待ち望む男(ヘブライ語でアダム。尚、土地はアダマーと言うが、アダマーは女性名詞なので、これを男性名詞に直すと、アダムとなる。)の地味であろうと、泥臭く神の前に生かされる立場を全うしたい。

 

最近、父と息子を扱ったあるストーリーをDVDで見た。医者の父は息子に医者の道を期待するも、息子は画家の道を選んだ。父は息子から離れ、息子も父から離れる。息子は父に対し完全に心を閉ざした。ある朝、父は心臓発作で倒れ、急死した。それでも、息子の心は固かった。周囲にせがまれてようやく息子は父の遺体を引き取り、署名にサインするためやむなく父の家に足を運んだ。そして、彼は父が大事にしていた部屋に足を踏み入れた瞬間、呆然と立ち尽くす。父の部屋は広くそして見事に整頓されていた。そして、三方の壁は画廊の様に様々な画が掛けてあった。どれも父が買い求めたもので埋め尽くされていたが、そのすべては息子が書いたものだった・・・そして、息子は言葉もなく号泣した。
 

 

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