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■ クリスマスその2・よしんば今がいかであれ / ミカ書7:1~10

イエスがお生まれになる約700年前、ミカと言う預言者が神によって立てられた。ミカはイスラエルの神への背きを指摘し、やがて来る神の裁きを語った。彼の預言の中で、クリスマスになくてはならぬ言葉がある。それはベツレヘムという町に、イスラエルの王となるべき方がお生まれになるというものであった。部族で最も小さく、小さな町ではあるが、人類の歴史に深く刻みこまれる王が誕生される。そして彼は語る。「それは永遠の昔からの定めである。」と。

ミカ7章には、すべての階層への指摘がある。彼を取り巻く当時のイスラエルには神を畏れるような敬虔な者は見当たらない。血が流されることを好む人間たちばかりが目についた。政府の役人はその地位を利用して、金を求め権力によって人々を虐げた。賄賂などは日常茶飯事、当たり前のように横行し、道理も条理もあったものではなかった。正しいと思える人間など見当たらない。友人でさえも信用できない。愛する人にさえ、唇の戸を閉めなければならない。いつ、寝首をかかれるかも分からない。息子や娘は親を侮り、嫁は姑に逆らう。それぞれは皆、敵対関係でしかない・・・今の日本そのものではないだろうか?いいや、日本社会の方がもっと悪い。子が親を殺し、小さな子供が無残に殺される。本当の神を知らないこの国。人間を神と崇めるこの国。創造主を無視し、月や太陽、自然界さえ神格化し、自分にあった宗教を選ぶ。この国民は創造主からの裁きを受けているとしか思えない。

預言者ミカは決して他者だけを批判したわけではなく、彼自身さえも裁いている。 「私は主の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。」 すべてが神に背き、罪びとであった。真っ暗なこの世、絶望だけが預言者の視界に置かれていた。 だが、預言者ミカの視線は別な点を見ていた。それは、光なる神、義なる神であった。今がいかであれ、義なる神は光の中で、正しい裁きを下さるからだ。神の前に自分の罪を告白し、悔いる者は神を待ち望む。たとい、「お前の神はどこにいる?」とあざ笑う敵であろうとも、恥を見るのは敵である。

よしんば今がいかであれ・・・ 救い主は来られた。彼は十字架で死なれ、三日目によみがえられた。十字架は勝利である。よみがえりは希望である。仮に今がいかであれ、キリストは勝利と希望であり続ける。 ミカが語った預言はその後、700年という時を経て、実現した。神にとって時間は関係ない。永遠の神は、時間に左右されない。だが、この方は時間の中にさえ介入される。救い主を待ち続ける人の場所にである。よしんば、その人生に時間が足りなかろうと、神は約束を果たされる。そして、決して遅くはない。神にあって遅刻も早すぎもない。すべてを見通しておられるのは、この方しかいない。信仰の世界はまさに永遠の世界である。忙しい現代に流されず、自分と主だけの時間を深く味わいたいと思う。

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