■ すべては神のものである / マルコの福音書12:13~17 (2006-01-22)

「すべてのものは神のものである」今回、このメッセージのために学んでみたが、つくづく反省と悔い改めを促された。信仰が弱いから、コミットメントが無いから、確信がないからとか色々並べる私であるが、その原因としては、そもそも一番の基礎でもあるべき、「すべては神のもの」という基礎観念というか信仰の礎石が余りにも貧弱だったからである。頭では分かっていても、日々生きる現場で、そういう思いを持ちながら物事を判断しているだろうか、と考えさせられた。まことに、すべては神のものであったのである、アーメン!

税金の問題でイエスが試される個所がある。いつもそうなのだが、どちらに返答しても、人々の罠にはまってしまうような質問であった。彼らはイエスに向かって、宗教か政治かという深い意味を含んでいたテーマを隠し、表件的なところで設問した。どう答えても訴える口実が探し出せる筈であった。イエスさまは少しもあわてず、誰かが持っていた銀貨を指差して言われた。「その銀貨には誰の銘があるのか。」人々は応えた。「カイザル(ローマ皇帝)です。」イエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに。神のものは神に返しなさい。」 設問者は主のお答えに一言もなかった。

私達はこの地上で生きている。そして人間社会がある。支配者がいる。その秩序に従って生きることにより、生活が守られている。どんな国にも仕組みがあり、それを遵守するよう聖書は語る。しかし、聖書は更に言う。人間は、国よりも支配者よりも、はるか上におられる神にこそ従うべきである。

私達は家庭でも、教会でも色々なチャレンジの前に立たされる。大きな買い物もある。特に教会などでは、決定するまでに非常なエネルギーを消費する。年度予算と教会の成長率を比較しながら、ない知恵を絞る。教会など特に困るのは、計算したとおりに成長など出来ないことである。神さまが成長させてくださるのであって、人間などそこに参加させていただいているだけに過ぎない。それを数字に変換しろ、とは神さまの働きを計算に入れろ、と言うことでもある。しかし、ここで大事なことを忘れている。それは、私達は余りにも「神さまを計算に入れない」ということである。こんなことを言うと笑われるだろうが、一番なすべきことをしていない教会がほとんではないか、と思う。勿論、祈って託して求めて・・・だが、本気で神さまを計算に入れGOをかける教会、牧師がどれだけいるだろう?何故なら、すべては神のものであるから、神を計算に入れず何がはじまるのかとさえ思う。

ならば、あなたは誰のものか? 神のものとなった筈である。あなたの妻も夫も、子供達も神のものである。自分のものと思うから、つまらぬことで腹が立つ。もし、神のものであるなら、よくよく注意してかかる筈なのだが・・・・・ もう一度、考え直そう。「すべては神のものである」ことを。

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