■ あなたは、神の国から決して遠くない / マルコの福音書12:28~34 (2006-02-12)
- マルコの福音書12:28~34
- 2006年2月12日
- 読了時間: 2分
一人の律法学者がイエスの前に来て尋ねた。 「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか?」 「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。神は唯一であり、そして神を愛し、隣人を愛することは、どんな生贄よりも優れています。」 イエスは答えられた。「あなたは神の国から遠くない。」
キリスト教は宗教か?でも敢えて私は言う。「キリスト教は宗教ではない。」 しかし、ただ拝み、家内安全商売繁盛をお願いしているだけなら、宗教である。だが、キリストはそうではない。お金を幾ら積もうが、善行をしようが、それで天国にいけるのではない。また逆にどんな悪人であろうと罪人であろうと、キリストの心次第では天国に入れる。死刑囚であろうと、テロリストであろうと。 つまり、人間の側の善悪、努力と修練が問題ではなく、神の問いかけにどう答えるか否かである。古来日本に八百万と言われてきた神々と言うか偶像宗教にキリスト教的なものがあったろうか?慈悲だの煩悩だのの言葉はあっても、みな「まやかしもの」に過ぎない。だが、その「まやかしもの」や信仰宗教、オカルトものが、日本人の興味を引いてきたし、今も同様である。昨今、TVに毎日のように出ている占いおばさんなどもそのたぐいである。日本人は、多少怪しいとしりつつも心を許している。喜んで聞いている。この国に偶像は満ち満ちていても、誠の神、唯一の神を知るのは0.5%位の人しかいないのである。
クリスチャンになったら真面目に生きなくてはとか、清貧に甘んじて生きるとかの言葉もクリスチャンを呪縛していると思う。それは確かに尊い活き方ではあるが、一つの実(結果)であって、目的ではない。 自分の努力精進の実ではなく、キリストからの給わりものである。ここに尊さがある。人間の目を気にしながら生きるのではなく、神の御目を意識すべきであろう。私の心さえ見透かされてしまわれる神を。
聖書の命令は二つだけである。それを知るなら、あなたも神の国からは遠くない。 神を愛することと、あなたの隣人を愛することの二つである。人間が、国がそれを守っていたら、戦争もなく軍隊も要らない。間違いなく・・・・
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