■ 十字架につけろ!の裏面 / ルカの福音書23:8~23 (2006-04-02)

時のローマ総督ピラトとユダヤの王ヘロデは仲が悪かった。世界の権力者ローマに媚び、その裏側では忌々しくも思っていたであろうヘロデを見透かし、毛嫌いしていたピラトであったが、イエスを十字架に送るに際して二人は仲良しになった、と聖書は語る。幾ら仲が悪くても、共通の敵をつくれば見方同士になると言うサンプルである。人間にとって身近なアドバイスであり、クリスチャンにとって好きになれない方法である。

総督は群集に問いかける。 「この男(イエス)に罪は見当たらない。私は彼を釈放したいと思うがどんなものか?」 群集は叫ぶ。「十字架だ!十字架につけろ!」群集心理を操ることに、たけていた総督の計算済みの問答であったのか。彼は再度言った。「イエスをどうしろと言うのか!」群集は益々叫ぶ。「十字架だ!十字架にかけろ!」

この叫びの裏側にもう一面を感じる。すべての人間の怒りと憎しみが集中して、イエスに向けられた。抵抗もせず、言い訳もしない子羊のようなイエスに向かって、この世の悪が叫ぶ。「彼が死ななければ、我々が助からない。如何し様もない我々の汚れは、イエスの血でしか落とせない・・・」と。

つまり、「十字架につけろ!」の裏面には相反する思いが込められている。「イエスが死ななきゃ、俺達が助からない!」

イザヤ書が語る。(53章) 『彼への懲らしめが私達に平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私達は癒された』

ある本にこんなお話があった。一人の男が夢を見た。目の前でイエスが鞭打たれようとしている。兵士の鞭が振り下ろされた!イエスの背中の皮膚が破れ、肉が裂け、血がほとばしる。鞭に仕込まれた金具がイエスの背中から肉片をちぎった。男は兵士の後ろに走りより、再び振り上げた鞭を持つ手を掴んで叫ぶ!「もう、止めろ!」兵士が振り返った。 兵士の顔を見て仰天した。なんとそれは自分であった。

実際、これが事実であると思う。二つの思いが交錯する中で、神は私達に平安へと導かれた。神にしかできないことを。イエスしかできないことをしてくださった。 イザヤ書は更に言う。「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった」

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