■ まさか・・・・ / ルカの福音書24:1~32 (2006-04-16)
- ルカの福音書24:1~32
- 2006年4月16日
- 読了時間: 3分
イエスは十字架で殺された・・・
釈迦は老衰で死んだ。 ムハンマドは病気で死んだ。 天皇陛下も死ぬ。 大統領も首相も、ノーベル受賞の医者も、どえらい人も死ぬ。 みんな死ぬ。 そして誰もよみがえらなかった。
だが、イエスは三日目によみがえった! だからキリスト教会は存在する。 だからクリスチャンがいる。 とりあえずピンキリだろうとクリスチャンが存在する。 イエスがよみがえられたからだ!
教会は日曜朝、早くから騒々しい。 何故ならイエスがよみがえられたからだ。それ以外に理由はない。キリスト教ってなんとシンプルなのだろう。シンプルすぎて笑っちゃうくらいだ。だから人間はキリストを嫌う。日本人など特に教会嫌いだ。日本人は、自分で勉強してテストを受け、合格してクリスチャンになる位を好む。 特に自分が正しい、と自信を持っている人はイエスを嫌う。 どうしようもない自分、と思う人はイエスのところに行く。(確立が高い)
何はともあれ、こんなことを喋れるのは、イエスさまがよみがえられたからだ。 もし、イエスがよみがえらなかったら、クリスチャンはこの世で一番のアホだ。絶対である。「この世で一番可愛そうな人々こそ、クリスチャンである」とパウロも言っている。私など、この人生で最低でも1260回の日曜を教会で費やした。1260回の朝の礼拝と更に数百回の集会時間を捧げた。ああ、もしイエス様がよみがえらなかったとしたら、なんと無駄な時間だったか?と、私は思えないし、思わない。 それは、聖書が言うとおり、主はよみがえられたからだ。 救いようのないアホ、と言われても構わない。彼は今も生きておられる。ピンでもキリでもいい。とにかく、イエスを救い主と信ずる人の心に住んでおられる。天の父の右に座し、我々罪びとの祈りを神に取り次いでくださっておられる。だから、クリスチャンは祈りの終わりに必ず言う。「イエス様のお名前によって、アーメン!」自分に自信がないから「イエスの名・・・」と言うのではない。やはり、私達は罪びとであるし、イエスの名によって救われ、集められた者たちだからである。その名でなければ、神の元に届かない。 イースター、復活祭。嬉しい嬉しい日である。イースターだからと、意識する前に嬉しくなっちゃうのである。こんな不思議な日が他にあるだろうか。365日を追ってもない。
「彼はここにおられない!あの方はよみがえられたのです!」とみ使いが言った、と聖書が言う。1988年二月、イスラエル・ツアーに参加した。イエスの葬られた場所としてイメージが最も近いであろう墓がある。横穴式の質素なものだった。中は4畳半くらいの広さ。見渡しても空っぽだった。装飾もない。だが、不思議である。クリスチャンはここを見て感動して、涙を流す。嬉しいのである。 墓から出ようとして目をあげると、そこに札が掛けてあった。 「彼はいない。彼はよみがえった」と英語で書いてあった。その板切れの言葉を読んで、私達は思わず叫びながら表に出てくる。「ハレルヤー!」 ハレルヤという言葉(神をたたえます!)が、こんなに相応しい場所は他に絶対にない、と思った。 桜の花に似たアメンドウの花があちこちに咲いていた。野には真っ赤な野生のアネモネが咲いていた。まるでイエスの血のように綺麗な赤だった。
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