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■ 主は生きておられる / 第一列王記17:1 (2006-04-30)

April 30, 2006

「神は生きておられる!アーメン?」(そう思いますか? )
 「主は生きておられる!アーメン!」(はい!そうです。主は生きておられます!)
クリスチャンの喜びはここである。ここにしかない、とさえ言い切れる。
 気持ち、心、意識の中に「主は生きておられる」がしっかり居座っているなら、相当な試みにも負けないで立っていられる、と思う。言っておくが、思い込みではない。心と魂に刻み込むことである。

 

 人間は頭がいい。
なので、どうもこんな子供だましのようなん単純な意識は捨ててしまうらしい。または、毎日似たような暮らしを過ごしていると、当たり前になってしまい、その尊さが薄れてしまうようだ。クリスチャンの元気はここでしか探しようがないのに、敢えて無駄な努力をしているとしか思えない。まあ、私自身が非常に単純であるからかも知れないが・・・・
 

旧約聖書、たくさんの箇所にこの言葉が出てくる。「イスラエルの神、主は生きておられる。」
これが人々の会話の端々で語られていた。その言葉を言い合うとき、彼らは自然と力が湧いて来たと思う。正義が死んだような現実世界。誰も彼もが人間味を失ったような社会。貧しさと暴力、強盗と殺人の日々。どれほど神が見離されたような目の前であろうと、「主は生きておられる!」と告白できることは、何と素晴らしいのだろう。そこには希望がある。苦しみの向こうに祝福さえ見える。現実がいかであれ、あなたの主は死んでいない!
 

 旧約聖書、列王記に神のしもべとして預言者エリヤと言う人が出てくる。彼は悪王アハブに果敢に挑戦する。一介の素浪人のようなエリヤが将軍に向かっていく様である。痛快極まりない。エリヤの信仰の強さはどこにあったか。それは神から直接的に派遣されたことである。力はここだ。誰か人間に派遣されたのではない。おそらくエリヤは考えたであろう。「自分は生きている。生きているから死は怖い。だが、神も生きておられる。時間の世界を超越された世界の王なる主は生きておられる!」エリヤそこに立った。
 

 日本のクリスチャン、おそらく50万、60万人であろうか。日本社会は天地万物を創られ、唯一なる全能の神を受け入れない。そういう国に置かれたのである。毎日がエリヤのような思いであろう。何しろ、宰相を初め社会の隅々までが、偶像礼拝者なのだから。そういう社会で信仰の灯火を赤々と燃やすのは尋常ではない。だが、エリヤを思い出そう。彼が神から直接遣わされたように、私達も同様である。一人ひとりは、神によって遣わされたのである。
 

 昭和30年代であったと記憶する。一人の婦人が皇后の前に招かれた。理由は戦中、戦後を通じて日本国民に様々な形で食料などを提供した功績であった。皆が貧しい時代、彼女は故国のアメリカへ帰らず、日本人に食べ物を配給した。アライアンス教団の宣教師、メーベル・フランシス先生。
 四国に彼女の働きの足跡がたくさん残っている。
 多くの教会を生んだ信仰の母であった。
 

 彼女は皇后に向かって言った。
 「あなたは救われていますか?」
 皇后は言った。「救われているとは、どういうことですか?」
 日本人ならとても聞けない質問をフランシス先生は言った。
まさにキリストから直接的に派遣された人であった。
・・・・実に主は生きておられる。アーメン!
 

 第一列王記17章1節
ギルアデのティシュべ人、エリヤはアハブに言った。
 「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。」

 

 

 

 

 

 

 

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