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■ わたしはいのちのパンである / ヨハネの福音書6章35~40 (2006-05-07)

イエスは言われた。「わたしは命のパンである。」(ヨハネの福音書6章35節) 命のパンが与えたもの、それは一人の人間の全人的な範囲に及ぶ変革である。 およそクリスチャンであるならば、信じる以前とは大きな隔たりがある筈だ。もし、以前と大差ないと言われるとしたら、それはキリストの責任ではない。

イエスによって私達は大きな変革を与えられた。人間性、人格、人生、すべてに変化があった。 人間性=Human Nature 文字通り生まれながらの性質とも言える。 人格=Personality 普段は隠れているが、何かに応答する際、露呈する。 人生=Life 生涯、一生。

通常、人間性はクリスチャンになっても変らない。変って欲しい、と思っても変らない。だが、第三者的には大きな変革があった、と見られる。それはその人の人間性が根本的に変ったのではなく、その人の内にもう一人の人格、つまり神に向かう性質が誕生し成長して行くからである。その人自身の内側に、生まれながらの人間性と、キリストに生きる新しい人間性が同居していることとなる。

昔、ヤクザだった人が今は牧師になっている。昔、テロリストだった人が今は宣教師になって活躍している。人間性として180度変ったというより、命のパンの働きによってである。イエスが彼らの内に変革をもたらしたからだ。滅び行く人生が、神に用いられる人生となった。彼らは人間性にも人格にも、人生にも凄まじいほどの、真理と力と勇気を与えられた。キリストに向かうと、人はキリストに似た者となる。まさにこれである。と、言うことは私達が自分の内側を眺めてガッカリすることはない。自分の内側を見ている時間があったら、キリストに向かうことだ。自分の内側を眺めることくらいなら、いつだってできる。寝る前にだって出来る。

人生は線である。だが、日々は点である。様々な取り組みも点である。しかし、私達の人生は線となるべきだから、点がつながる必要がある。線として点をつなげる、のではなく、つなげてくださるキリストがおられる。だから、こんな山と谷のようなアップ・ダウンの信仰の歩みさえも、キリストの愛によって線としてくださるのである。

あなたは今日、命のパンを食べているだろうか? 命のパンであるイエスがあなたの腹におられるだろうか? あなたは自分という人間性を変える必要はない。キリストが新しい人間性をくださるからだ。 あなたは自分の人格を知っているだろうか? 知ってがっかりする必要はない。キリストがどんな人格にも関わってくだあさるからだ。 あなたの人生に灯りがあるか? やり直したい人生、と思っているだろうか? やり直す、のではなく、今、新しいスタートができる。この世の地獄からであろうと、這い上がれる。キリストが手を引いてくれるからだ。

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