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■ 信ずる天(そら)には雲も湧く / 第一列王記18:36~46 (2006-07-23)

エリヤはカルメル山で、バアルという偶像の預言者450人を向こうに回し、たった一人主の前に立った。彼は祭壇を建て直し、生贄を並べ、水をくまなく注いで濡らした。祭壇のすべてに水をかけた。人間が火をつけようにも燃えようがなかった。彼は天を見上げ祈った。
 「天と地においてただお一人なる主よ、今ここにいるすべての者が、あなたこそ唯一の生きておられる神であることを知るように。主よ、我に答えたまえ。主よ、我に答えたまえ。あなたから離れた民の心をひるがえしたまえ!」
そして聖書は語る。「すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。」(第一列王記18:38)
 

 見ていたイスラエルの民は言った。「主こそ神だ。主こそ神だ!」
 彼らは偶像の預言者を一人残らず殺した、と書いてある。
 祭壇を建て直し、偶像を一掃しなければ、神は私にもあなたにも栄光を現し給わない。
 

エリヤはアハブ王に向かって言った。
 「登って行って、飲み食いしなさい。激しい雨の音がするから。」
 神の怒りは解けた。三年にも及んだ渇水の時は終わりを告げ、恵みの雨が降るというのだ。
だが、空はあくまで晴れ渡っている。雲など見当たらない。
エリヤはひざまづき、頭を膝の間にうずめた。彼は待った。ひたすら、神の恵みを待った。
 暫くの後、エリヤは若者に聞いた。「登って行って(雲が出ているか)海の方を見よ。」
 「何もありません。」若者は言った。「七度、繰り返しなさい。」とエリヤは行って、同じ姿勢に戻った。
 

 待つ。あなたは得意であろうか。私など全く不得手であった。
だが、待つことがどんな意味を持つかを知ることは大変な益となる。
 1、 人は待つことの必要を知るべきである。
 2、 待つこと自体、神が先に行かれることを認めることである。
 3、 待つべきとき、があることを悟るべし、である。
 4、 待つことにより、あなたは神の栄光を体験する。
 5、 待つことによって、あなたは信仰の成長を手にする。

 

 雲が出るまで、エリヤは神を疑わなかった。雨が降る可能性が見えずとも、エリヤの信仰はぶれなかった。七たび、は完全を現す。
 七度目、若者が叫んだ。「あれ!人の手ほどの雲が海から上ってきます!」
 暫くすると、滝のような大雨がやって来た。
 

 聖歌にこんな歌がある。(267番)


二、 恵みを降らす 手ほどの雲 早も彼方に 見え始めぬ

  いよいよ熱く 我祈らば イェスよただちに 降らせたまえ

  イェスの愛 イェスの愛 海の如く 寄せ来る栄えの波

  我を包み 我が喜び 限りなし

 

三、救いの川の あふるるまで 恵みの雨は降りしきりぬ
罪と汚れを 洗い流し 我を恵みに またく浸す
(折り返し)

 

 恵みの主よ、この心と体にまとわり付くすべての罪と穢れを
 イエスの血によりて洗い清め給え。
イェスの御名によって祈ります。 アーメン!
 

 

 

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