■ 誘惑、その実は食べるに良く、目に慕わしい / 第二サムエル記11:1~15 (2006-08-20)

誘惑は突然やってくる。もともと身近にあったのかも知れないが、ある日突然、心に忍び込んでくる。エデンの園、食べてはならないと言われた木は、元々そこにあった。それだけでは誘惑ではなかった。だが、蛇が女に向かって話しかけた瞬間から、その木の実は誘惑の根源となった。女が見るとその実は食べるに良く、目に慕わしかった、と聖書は語る。 木の実、と語られるそのものは、ある場合異性であり、金であろう。その実がやがて人生の崩壊、家庭の崩壊の要因となる。誘惑は思いがけないときに訪れる。

ダビデ王はある日の夕方、目を覚ました。屋上から見ると、近くの家の屋上で女性が体を洗っていた。その女性は美しかった。彼は人をやって、その女性の素性を確かめさせると、彼女の夫はダビデの忠実な部下だった。しかし、ダビデはお構い無しに女を迎え入れ、床を共にした。暫くの後、女は王に告げた。「私は身籠りました。」

W・ハーリ博士、長年の研究結果に次のようなデータがある。

女が男に期待する5つの欲求         男が女に期待する5つの欲求 1、 愛情                 1、性的充足 2、 会話                 2、遊び仲間であること 3、 誠実と率直さ              3、魅力的であること 4、 経済的安定               4、内助の功 5、 親子の交流時間             5、賞賛の声

あなたはいかがであろう。そして幾つかの点では場合によらず、誘惑に陥る要因となるのだから、人間はその思いがけない弱さを認識すべきであろう。素晴らしい信仰の人、ダビデがあのような罪を犯したということは、この世に完全な人間はいない、ということの聖書のメッセージである。

王は彼女の夫ウリヤを戦地から呼び寄せた。「ご苦労である。今夜は久しぶりに家に帰り、妻と楽しむが良い。」だがウリヤはそれを断った。「王様、私の上司も友も今なお戦地にあります。どうして私だけが妻と楽しめましょうか。神と王に対しても私にはそのようなことはできません。」彼は二晩エルサレムに滞在したが、妻のもとには帰らずそのまま再び戦地に向かった。

王は戦地の指揮官に通達した。「ウリヤを最激戦地に送れ。そして彼だけを残し、他の兵は撤退せよ。」そしてウリヤは戦場に散った。

人間の体には様々な手足、指などの以外に様々な器官がある。。神はその必要性の故に、緻密なわざにより祝福をもって備えてくださった。人間が子々孫々、その営みが祝され、繁栄のために与えられた肢体や器官は、ある場合に大きな禍ちを犯す道具ともなる。神を見上げて生きる領域でのみ、それらは必要に応じて役に立つが、時として罪の奴隷ともなる。神を礼拝し、与えられた体を義の器として用いるとき、体は大いに役立つ。そしてキリストに生きる時だけ、人は誘惑から逃げられる。すべての人が持っている良心というものは、人の力にはならない。目の前に置かれた誘惑は、良心などもみがらのように、吹き飛ばしてしまう。まさに神だけが助けの岩である。

ダビデに時間的余裕、戦力的余裕が出来たとき、彼を陥れた誘惑による罪は、ダビデ王国の崩壊と神への背教につながった。あの日、もし朝から戦地に赴き、家来達を励ますなどしていれば、聖書は異なる記事になったであろうに。歴史に「もし」は意味を持たないが、私達の今に「もし」は適用できる筈だ。 そして、あの日の夕方、神は黙されておられた。しかし、神は見ておられたのである。

エレミヤ書にこのような主の言葉がある。 「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」 そこで私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」 すると、主は私に仰せられた。 「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」

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