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■ あなたは救われていますか / ローマ人への手紙7:15~25 (2007-05-27)

「私は本当に惨めな人間です。」とパウロは嘆いている。
ローマ7章はすべての人々に向かって、心を裸にしたキリスト者を見る。
 誰が他人に向かってこういう言葉を言い得るだろう。恥ずかしい思いを振り千切って捨て、自分のおぞましさをあからさまにしている。普通は少しでも自分を飾りたい、装いたいが人間の本能である。しかし、パウロは人間の前にではなく、キリストの前に告白しているのである。人の目はごまかせても、神の目はごまかせないことを、キリスト者になって発見したからであった。
 

 「あなたは自分のしていることがわかりますか?」と聞かれて、「わからない」と答える人は希である。みんな、「わかっている」と答えて当然である。だが、本当にわかっているのだろうか?
 私は時々、わからなくなる。正しいからとかの以前に、自分がしたいからする。若しくは、したくなくとも、すべきであるならする。せいぜい、そんな世界である。しかし、後悔することが多々ある。わかってやっているようで、随分間違っていることが多い。
パウロは、「私は自分のしていることがわからない。」と言った。したいことが出来ず、したくないことをしているとも言う。彼は明確に、神の前に罪と善を見分けている。逆にわかっていると豪語する私達は、罪と善がわかっていないのだと思う。
 

 世の中、何故これほど納得行かないことが多いのだろう。しかし、人間世界だから当然なのかと、納得せざるを得ない。と言って、自分に関しては、納得しなくても、左程問題にしない。だが、パウロは、「自分を問題視した!」のである。ここが、凄いと思う。だが、キリスト者たるもの、そうあるべきなのだと思う。自分の内に宿るキリストの御霊が、パウロの心の隅々まで、聖なる光によって、罪を浮かび上がらせた。そこまで、自分を聖霊に明け渡すパウロは、やはり偉大な人であった。そこまで砕かれた人間は、必ず出会える方が待っておられる。「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します!」(ローマ7:25)
 

ローマ人への手紙を読んで不思議に思うのは、言葉の最後を読んで分かるように、すべて現在進行形で書いてある。「います」であって、「でした」とか「いました」ではない。
パウロは既に熟練したキリスト者であり、伝道者であった。ならば過去形で語ったほうが
当然であるし、正しいと私は思う。そうでないと、聞く側が不安にならないかと考えた。
だが、熟練者であるからこそ、彼は「今もこんな者でしかない」と嘆く。そこに心を裸にした真っ正直な人間を見た。彼は、キリストによってそうなった。
 

クリスチャンの完成の姿をパウロに見る。
 威風堂々と福音を語る、お偉い先生は大勢いる。
でも、内なる聖霊に示されて、ヨレヨレの罪人の自分をあからさまに語る先生はあまりいない。一見、敗北者のようでありつつも、キリストの勝利をたたえる、救われし、赦されし罪人こそ、まことにイエスの従者ではないかと思う。
 

 

 

 

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