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■ 私が願うこと、御霊が願うこと / ローマ人への手紙8:21~27 (2007-07-08)

教会には不思議なことが多い。
 奇跡もある。振り返ってみると、本当に奇跡だらけだ。しかし、たくさんの牧師や役員、信徒はこのことを忘れている。
 考えてみると、人が集まる。建物や土地も与えられた。この世の事業と比べられない尊さがある。ましてや、魂が救われる。救われただけでなく、人生が変えられちゃう。牧師には出来ないが、イエス様がされてしまう。すごい奇跡はここにある。
だが、教会は随分とノンビリしている。なぜだろう?きっと、あまりに奇跡が多いからか?・・かもしれない。
 

 祈りは信仰の呼吸である。呼吸であるから、キリストを信仰していると、当然ながら祈りがある。しかし、吸っては吐き、吐いては吸うが如く、呼吸のような祈りはしていない。惰性?おざなり?儀式?自虐的に考えると、そう言えなくもない。実に困った者だ。
 

 奇跡は祈りが呼んだものだ。主が祈りに応答してくださったからである。
だが!祈っていないことが、なんと多く神さまから与えられているのだろう。
 当たり前の世界で生きているから、初めから祈っていないのだ。どこのクリスチャンが、明日も酸素を下さいとか、息が出来るように今夜をお守り下さいなんて祈るだろう。しかし、本来は幼子の如く、すべてを祈り、すべてに感謝の筈である。
 少し前、水不足になったダムがあった。町の人々は雨乞いをしていた。やがて、多量の雨がやって来た半端でない大雨がやって来た。洪水で大きな被害も出そうだ。こんな時、人は思う。神さまって、どうしてこうも扱いにくいのだろうと。丁度、という程度を神様はお分かりにならないのかな、と考えつつ、自分を自分で扱えない人間であることを思い出す。
 

ローマ書8章26節にこう書いてある。
 『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。』

 

 私が祈れないとき、御霊が祈ってくれている。私が祈ることは、自分の願いや誰かのためにであるが、御霊はその百倍の凄まじさをもって、充実した祈りを、神に捧げておられるというのだ。
 特に、「言いようもない深いうめき」とある。私はこんな祈りをしたことがない。
 特に文語体ではこうある。「御霊自ら、言いがたき嘆きをもて、我らのために執り成し給う」と。
 主の御霊が、私の祈りに対し、嘆きとうめきを添えて、天の父に届けてくださっておられるのだ。

 

 祈りをもう一度、根本から考え直そう、と思った。
 祈らない日がある。気持ちが向かないときもある。心が入らないときもある。
だが、聖霊はいつも、絶えず、我らの祈りにご自身を載せて、イエスの御名によって、祈って下さる。何と言う憐れみだろう。

 

 

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