■ 信じれば逆転が始まる / ローマ人への手紙8:28 (2007-07-22)

人が人を愛することと、人が神を愛することに共通性がある。 例えば、いつも一緒にいられることの幸せを思う。 そして、自然と相手が喜ぶことをしたくなる。 違う点は、渇きである。恋しく思うことと、神に渇くことには別なものがある。 ここに霊的な渇きと、魂の渇きに違いがあるのだろう。

あなたの人生に逆転が来ることをあなたは望むだろうか。 私は今のままで良いと思う半面、どこかで逆転を望んでもいる。 非常に身勝手であるが、ひたすら神の時を待つ。

口先三寸の信仰があり、頭だけの信仰もあり、心(胸)の信仰もあり、腹でくくる信仰もある。但し、これは一人の人間を指す。つまり、人間とは場合によって、様々変化する、と私は自分を見て、それを感じた。 口先だけで通る場合もある。頭で考えて対応できる場合もある。心で悩んだりして決める場合もある。しかし、腹をくくって行く道を決めねばならない場合もある。人生には様々な対応を迫られる場面があるが、願わくは小さなことでも、腹をくくって掛かる態度が必要だと思う。

モーセと言う人は100万ものイスラエル人をエジプトから連れ出し、荒野を40年間にも及び、旅をした。神が臨在されたから出来た大仕事であるが、凄い人であった。 神はなぜ、モーセを選んだのだろう? 決定的な二つの要因を見る。第一に、モーセは生まれた時から、神に呼ばれていた。 二つ目、モーセは強い正義感、民族愛に富んでいたが、大きな挫折を体験した者であった。

仮にモーセのような大仕事を任される器で無いにしろ、私達も呼ばれている。 自分がそれに相応しいかどうか、それは神さまの判断の域だから、心配すべきではない。 主が呼ばれたのなら、必ずそうなる。 抵抗するにしろ、逆らうにしろ、神に対してすべきである。人間にではない。 モーセも随分と抵抗したが、モーセは神に対して拒んだのである。 そして、あなたに逆転がやってくる。思いもしなかった世界が始まる。一度限りの人生だから、賭けてみる価値がある。ひたすら悩み。ひたすら黙想し、ひたすら祈れ。行ったり来たりの心の通りを幾度もこなしたらいい。その世界は、それだけの価値があるから。 挫折した人生は、尚更にいい。失望した人生も尚更にいい。 神があなたを呼ばれたら、そしてあなたがそちらに足を向けたなら、必ず道が開かれる。 今までの人生がひっくり返ろうと、そこは神の聖なる地である。そして、神はあなたに失望させない。神は決して、あなたを離れず、あなたを見捨てないから。ヘブル書13:5b

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