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■ ひたすらイエスと生きなさい / ローマ人への手紙10:1~4 (2007-08-26)

今、あなたの人生の関心事は何であろう?
 生き甲斐となっていることは?
その関心事をキリストに共有してもらっているだろうか?
 神に共有していないとしたら、どんな事であってもやがて破綻が来ると思う。
 

イエスの語られたたとえ話は、決して窮屈なものではなかった。誰でもが受け入れられる話しであった。主は敢えて、コチコチの話題を持ち出しておられない。社会の底辺に生きている人であるからこそ、イエスは慕われたと思う。どんな人でもイエスは拒まなかった。
 言うならば、宗教で凝り固まった人々をイエスはきつくこき下ろしておられた。実に愉快な場面であるが、もしかして私もこき下ろされる側の人間かも知れない。
 

パウロはローマ人への手紙で幾度も言う。神からの義を得よ!と。人間は何とかして自分の義を立てようとする本能がある。自分で評価し、他人からも評価を得たいのであろう。しかし、パウロは言う。行いによる義を立てようとするなら、100%の正しい行いをしなさい、と。これは100%の人間が不可能である。すると、神からの義を貰うしかない。
 

 神からの義とは、信仰による義である。
イエス・キリストを神の子と認めよ!
 彼があなたの罪を十字架で身代わりに受け、死んでよみがえられたことを認めよ!
あなたは既にイエスの十字架で贖われたことを認めよ。
そう、あなたはイエスを認め、受け入れて、救われるのだ。これが神からの義を得ることだ。
 

 私の家は山のふもとにある。夏には多くの虫が出てくるが、一番嫌いな虫は「ムカデ」である。ムカデは不幸な虫だと思う。サソリや毒蜘蛛も同様だ。見つかると殺されてしまうが、神さまの被造物の一つでしかない。彼らだって人間を襲うために造られたのではないだろうに。
 

 先日、頭を枕に乗せ、腹ばいになって休んでいた。暫くして、左の頬がくすぐったいと言うか、変な感触が走った。直ぐに手で払って起き上がったら、ムカデ君であった。どうも虫にだけは好かれる性質らしい。
 罪もこの様に手で払えたら、何と楽なことか、と振り返った。
だが、人間の罪は後から後から限りなく滾々と湧いてくるし、手で払っても、払っても落ちない。
イエスの十字架の血潮だけが、わが魂を清めてくれる。
 

 韓国のハ・ヨンジョ先生から素晴らしい教えをいただいた。だから、この人生でそれを実践して行こうと決心した。
それは、言い訳しないことと、相手の非を持ち出さないということだ。
 問題の中心が一つのことだけであっても、両者は互いの弱点や過去を非難し、批判し、
 色々持ち出してはけん制し合う。すると和解や修復など、とてもではないが出来ない。
そして、傷つけあうだけとなる。
 誰かの過去や弱点まで広げて攻撃せず、今現在の問題点だけを指摘し、中心からそれないような話し合いが出来たらいいのに、と思った。
 

マタイの福音書、ルカの福音書に似た記事があった。
 何れも7度を70倍して、相手の罪を赦せ、とある有名な箇所だ。
だが決定的に異なる言葉が、ルカの記事に書いてある。それは「相手が悔い改めたら、」である。これは明らかに共感福音書らしくない。さあ、私たちは如何しよう?
 相手が悔い改めていなくても、赦すのか?悔い改めたら赦すのか?
 

 私は自分をイエス様の前に置いて、この事を考えてみた。
 先ず、私が誰かを赦すといった立場の人間であろうか?
 次に、悔い改めが見えなければ赦さない、とイエスが言われるだろうか?
 三つ目、聖書の求める福音的な赦しは、相手がいかであれ赦しなさい、ではないだろうか?
 最後に、人は無条件に赦されて、そこで初めて福音を体験するのではないか?
 以上であった。すると、心に強く語られてことは「何があろうと徹底的に赦しなさい!」だけであった。
 

ここに神の義が浮かんでくる。
 神の慈愛が頑なな人間の心を溶かす。そして、人は悔い改めへと導かれる。そう、これが福音である。真っ向から切り込まず、ひたすら相手に愛を示す。私には出来ないが、主が共におられるから、きっとそれをさせてくださる。だから「ひたすらイエスと生きる」しかない。
 

 

 

 

 

 

 

 

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