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■ 何が何でも私はイエスと生きる / ローマ人への手紙10:5~11 (2007-09-02)

あなたにとって、神は近いか?それとも遥かに遠い天上の方か?
 近い!実に唯一の神さまはあなたに近く存在されるのだ。
ローマ書のみことばにある。
 「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」
この言葉は何を語っているのだろうか。神さまはご自身の言葉を、私達に語り、与え、そこに生き、その中で暮らし、喜びと力、楽しみと強さを与え、共存しておられるのである。
もし神さまに色があるとしたら、その色に染まりきってしまうことが、一番幸せなのだが、主はなぜかそうされない。主は、私達が自分の色を持ちながら、主と生き、礼拝を捧げることを願っておられる。
 

 

 最近、ふと示され、自問自答したことがある。
それは「人は自分の心を鍛えることができるだろうか?」ということである。
あなたはどう思われるだろう?
 私なりに考えた答えは・・・・心は鍛えられない、と言うことである。しかし、このことはクリスチャンの立場からのものである。
クリスチャンのなったばかりの昔と、今の私は勿論違う。自分で言うのはおこがましいが、確かに強くなったと感じる。それでは、私の心は鍛えられたのか?そうではない。強くなったのではない。逆に弱くなったと思う。弱くなったからこそ、主が「その弱い部分に」おいて働いてくださる、のだと思う。私が強かったとき、私はイエスさまを必要としなかった。神になど頼らなかった。
しかし、今は違う。何かにつけ、キリストを必要としており、彼なくして、私は何もできないし、したくもない。

 

 体は鍛えられる。しかし、心は鍛えられない。
 人の心は、いつも変化しつつ、また、変化しない。不思議そのものである。遭遇する出来事が似通ったものでも、その時々に新しい出来事に出会ったように、心が対処してしまう。弱い部分はいつまでも弱い。変えたくても変えられない。これが心だ。
ただ一つ、変わったことがある。それは、キリストに対する信頼度が深くなったという事だ。だから、強くなったように思うが、そうではない。神を必要とし、無くてはならない方と信じる度合いが昔より深まったのである。これはパウロが自分を振り返る告白からも読み取れる筈だ。
 

 「彼に信頼するものは失望することがない。」ローマ10:11
人間だから希望があり、失望もある。クリスチャンとて同様である。
しかし、聖書は敢えて、「失望することがない」と言い切る。これは凄いことである。
 「しないだろう」でもなく、「しないと思う」でもない。失望しない、のである。
なぜか?「キリストに信頼する者は」とある。つまり、希望が消えてしまっても、絶望にならない。失敗したり、躓いたりしても、失望には至らない、と約束している。
 日曜日、浮かぬ顔の信徒さんを見る。当然だ。人生に送っているのだから。でも、礼拝で賛美歌を歌い、メッセージを聞いても失望感に襲われているとしたら・・・
 きっとイエスさまはガッカリなさるだろうなぁと思う。
きっと主は思っておられる。『あなたは、どうして、もっとわたしに信頼し、信用できないのか・・・。あなたは、その罪を赦されたではないか。神の子となったではないか。天国に名前を刻まれたではないか。』
 

そう、みことばを信じよう。神さまを信じても、みことばを信じないクリスチャンの何と多いことか。日本の信徒に力がないのは、ここである。神を信じても、その方が語ってくださったみことばを信用しきっていない。
みことばが、私の日常会話に頻繁に使用するとき、私は喜びと力を確信する。聖霊はそのとき、私の内で、私と共に喜んでいる。神はこれほど近くにおられるのだ。ハレルヤ!
 

 

 

 


 

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