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■ 思いどおりに行かない時も、なまじ捨てたもんじゃない / ローマ人への手紙15:18~33 (2008-02-03)

実に!この世は自分の思い通りに行かないものだ。
時として、何もかも・・しかし、だからこの世である。
そう思う自分とは、各も身勝手な自己虫である。
この虫さえ、追い出せたら、もう少し暮らしやすい人生なのであろうが。
結婚の学びで読んだ本に、なるほどと思わされた言葉があった。
新郎新婦の2人を前に立った牧師、最初に何を思うべきか?
そう、思い通りにならないこの世を代表して立っているのだ、とあった。アーメン!

神さまは私達の思い通りにならない方である。つくづくそう思う。
だから!神さまなのだ。つまり、人間が立っている位置、それ自体が既に間違っているのだ。
神さまが思い通りになったら、それは既に神ではない。ギャグかコミックの世界でしかない。罪びとの思い通りになる神様などいなくて当然である。
それでも、私共の祈りを聞いてくださる。祈った以上のこと、祈った数百倍をかなえてくださる。なぜ?神だから。
だから、この方から離れられない?
違う、離してくださらないのだ。実に神は愛なり、アーメン!

私は神さまの思い通りになれない。なれないのか、ならないのか、分からない。
なっていない、ことだけは事実である。
なりたい、のである。でもならない、のである。実に惨めであるが、それでも、私は今日も祈る。祈るのではない。祈れるのである。それは神の赦しであり、恵みである。

こう考えてみると、実にこの世も捨てたもんじゃない。
つまり、思い通りに行かない時も、捨てたもんじゃない、のである。
パウロの人生もその通りであった。目指す道が閉ざされた。行くべき道が閉ざされた。
しかし神は別な道、別のルートをいつも用意された。そしてずっと後になって振り返って見たら、なんと・・・祈った、願った、とおり以上の結果であった。
スペインまでは行けなかったが、彼の願いであるローマに上った。囚人ではあったが、凱旋する将軍のように、多くのローマ兵に守られて上った。彼の願いのとおり、当時の世界の支配者がいる都に凱旋したのである。ローマ書の15章を読んで、それを納得した。

思いのとおりに行かないことは、実に私のため、あなたのためである。
そうならない事が、人を練り、人を彫り、人を削り、人を形造り、人を育てあげる。
創造主は実にそういう方である。
私達の弱さを強くし、強いところを多少へし曲げても生かす。
神に自分の創造を任せると、痛い、苦しい、辛い、時には死にたい!と思うことさえある。
だが、神は確実に、必ずみ旨を為す。時間をかけ、あるときは素早く俊敏に、あるときはゆっくりと気の遠くなるような時間をかけて、ご自身のペースでなされる。

私はいつもこの御言葉に励まされる。
「われ為すことを 汝 今知らず、後に知るべし」ヨハネ13章7節

人は人でしかない。神は人などいなくても存在される。
だが、人は神おられずば、すべて滅ぶべきものでしかない。その様な人間であっても、神は人を通して、ご自身の栄光を現そうとされる。それがこの世だ。神さまの思いのとおりになりたい。

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