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■ 神と人、そして自分と和解せよ / 第二コリント5:17~21 (2008-02-17)

February 17, 2008

私たちの教会はこの時期、韓国の青年達が滞在し、日本人への伝道のために働いている。短期宣教師を体験し、世界の失われている魂のためにイエスの御名を叫び、自分たちの生涯をキリストと生きるべく貴重な時間を過ごしている。
 
10年ほど前、シンガポールから青年達がやって来た。日本の幾つかの場所を選び、数回に渡って伝道に取り組んだ。ラブ・九州、ラブ・東京と題し、各地の教会を軸にして都市や農村の何箇所かで路傍伝道を試みた。その後、韓国の教会がやって来た。それも次から次へと、である。神の福音は熱波のように、押し寄せる波のように。途切れることなく、日本に押し寄せた。

さすがに腰の思い日本の教会も、立たざるを得なくなった。日本は電気、電子、車、科学、医学などの分野では、間違いなく先進国であるが、ことキリストの福音においては、全くの後進国だと思う。教会の敷居は依然として高いし、とにかく変化を恐れる、と私は感じている。それはつまり、守りではないだろうか。守りに徹していては、外に出られないのは当然であるし、内側だけで固まっていては、いつまで経っても新しい風は吹かないし、聖霊の風も起こらない。ならば聖霊がつむじ風となって、この国の教会をゆり動かして欲しい。
 
 
今週、私のメッセージは韓国長老教会の牧師と一緒に語らせていただいた。
独学で日本語を学んだという先生に、このメッセージをハングルで語っていただいたのである。
下記がそのメッセージである。

人は三つの和解が必要である。
一つ目は神との和解である。人が神から離れた。これが罪である。そして、人は自己中心に生きる道を選び、自分の好き好む宗教を選ぶ。或いは無心論者となり、己を神とした。
しかし、歩み寄ったのは神であった。キリストの十字架と言う大きな痛みを伴って、である。
すべての人間は、先ず神との和解無くして、救われず、真の平安はやってこない。

二つ目は他者との和解である。韓国民の多くが日本に対して嫌悪感を持っている、と想像する。当然である。古くは19世紀初頭から、20世紀半ば近くまで自国の尊厳、人民、言葉、文化、宗教を蹂躙した。そしてまともな謝罪さえも受けなかった。赦せなくて当然である。だが、彼らはキリストの愛、神の愛に押し出されて、日本人を愛し、日本人の救いために涙を流して祈り、遂には福音を携えてやってきた。韓国人と日本人は生き方、考え方、国民性、すべて異なるが、それらは問題ではない。問題は差別であり、赦さないことであり、受け入れないことである。それが出来ない、とうことは、神を信じてはいても、神が臨在されないことでもある。イエスは、人類にくまなく存在する憎しみというものすべてを、ご自身の血と命で洗い流された。究極の和解、それは迫害した者を赦し、敵を赦すことである。赦すだけでに留まらず、愛と祝福で包み込むことだ。これが神の愛!
 
三つ目は自分との和解である。
パウロの嘆きは、彼の内側の深くて尽きない泥沼を知ったからである。
それはすべての人間に共通する。その部分と人は和解できるだろうか?
出来ないのである。残念である。だが故にこそ、十字架が必要であるし、存在する。
自分の中の敵は、十字架によって、すべて打ち滅ぼされたのである。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」第二コリント5:17

私達、キリストを信じた者は、古くてネガティブで、ゾンビのような古い自分に惑わされてはならない。 既に新しくされたのだ。 そして更に聖書は言う。 「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」 自分でそれを思い込むのではない。神の宣言であり、断言である。 キリストの十字架の力を我々は侮っていないだろうか。 すべての人類の罪と死をサタンと共に、地獄に追い落とした。それが十字架である。イエスのよみがえりである。 十字架にすがれ!十字架の足元に伏して、救い主の言葉を聞け、 「見よ、す
 
 
 
 
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