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■ たかが1デナリ、されど1デナリ / マタイ20章1~16 (2008-04-06)

April 6, 2008

イエスさまの時代、労働者の一日分の労賃は「1デナリ」と言う単位であったそうだ。
しかし、1デナリは決して暮らしを豊かにするものではなかった、と言われる。もしかしたら、ギリギリの生活水準であったかと思われる。だが、それでも何も入らないよりは、はるかに助かった。
 貧富の差が激しかった時代、一日働いて1デナリ貰い、夕日を浴びながら家路に向かう労務者の姿は、何故か2千年後の今に共通することに、いつの時代にも存在する世の不公平と共通性を考えさせる。
 

ぶどう園のオーナーは、早朝から労働者を雇いに市場に出かけて行った。
 一日1デナリの約束で、数人を雇うことが出来た。
 更にオーナーは朝の九時に出かけ、「相当のものをあげるから」と言って雇った。
 更に12時、3時、何と夕方の5時にも同様に雇った。
 当時は朝の6時から夕方の6時までの12時間労働であったらしい。
 

 熱い一日が終わり、労賃の支払いが始まった。
 主人は召使に言う。「最後に来た者から、順番に払ってあげなさい。」と。
 「エッ」と耳ではなく、私が目を疑う箇所である。
どうして?最後に来た者からなの?と誰もが思うのであるが、私達にはオーナーの心はわからない。(この箇所は、信仰のレース、つまり、後の者が先になる、を言いたいらしい。)
おまけに5時から来た者でも、3時から来た者でも、1デナリを貰って帰った。
 早朝から働いた者達は、二倍も三倍も貰えると思ったであろうが、手にしたものは、やはり1デナリであった。不公平へのブーイングはとてもじゃないが、おさまらない。
 

 暑さを耐えて一日働いた労務者の気持ちが我が事の様に思える。
 牧師になる前の十数年、子供達の父母に対し聖書を語り、次に成人科の教会学校で働く。
 更には時として礼拝メッセージを語り、夕方には弟子訓練のリーダーをする。水曜には祈り会をリードし、執事として信徒の世話もした。
こんなに働いても1デナリ?!・・・私の自負か、驕りか、思い過ごしか。
ウ~ン、神さま、参りました。であるが、主は言われる。
 「そうだ、あなたはよくやった、だから、あなたにも1デナリ!」
 

 1デナリは誰のものか?そう、ぶどう園のオーナーのものであった。
そして、主人は約束通り、1デナリを支払われたのである。

 

 問題は、自分は何時から働いた者なのか?である。
5時、と思えない心に、傲慢とスキがある。
 私は賃金を求めて、主に仕えたのではない。報酬を求めて、教会学校で働き、メッセージしたのではない。
ひたすら、主からいただいた賜物によって主に乞われ、主に仕えただけなのであるならば、
いただけるものは、報酬でも賃金でもなく、主人からの恩寵(恵み)であったのだ。
この様な、何のとりえもない者を主の御用に用いていただいた、のであるから。
 私は実に「5時から男」でしかなかった・・・
 

 

 

 

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