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■ 聖霊に導かれなさい / ガラテヤ人への手紙5:13~26 (2008-05-18)

今週は1トンの不発爆弾撤去作業のために、礼拝は朝の7時開始であった。
 爆弾は当然怖い。だから万が一を考えて、中心から半径500M内に住む人々は皆、退避させられた。
 

そして、現代は更に怖い時代である。
 何故か?多くの人間が、その内側に爆弾を持っていて、それを突然爆発させるからだ。持っていることが分かっていれば良いのだが、殆んどの人は全く知らない。時限爆弾のようであり、クラスター爆弾のようでもある。
 感情、ストレス、閉ざされた心、と言おうか、誠に細くて短い導火線しかないので、なんとも恐ろしい。こちらの方が、不発弾より怖い。
だからこそ、人は助け主が必要だ。
 

 三位一体の神が私達の信じる神さまである。
 父なる神は創造主、子なる神は十字架において私達の罪を贖われたイエス・キリスト。
そして御霊なる神、聖霊は助け主と呼ばれる。
 以上、三方は働きと立場において三位であるが、すべてお一人の神である。神さまが三人おられるのではない。霊であられるのだから、人間のように固体、物体の概念は捨てないと分からなくなる。
 

 天の父なる神さまはこういう方であるのだから、有限で、浅はかな知恵と理解力では及びようがない。ましてや認識など出来ない。だから、信じるしかない。
 

ガラテヤ書には「聖霊に導かれなさい」という命令が書いてある。
 命令として読んで終わりではない。ようく考えて読んでみると、見えてくるものがある。
それは、人が聖霊を導くのではなく、聖霊が人を導くのである。すると、導かれるような心にならなければならない。導かれるとは、頭をさげて、心からのへりくだりが必要だ。自分の力で頑張っているような信仰生活では、聖霊を導いてしまい?とても満たされることとは程遠いのである。
 

イエスさまは神の御子でありながら、すべての栄光を捨てて、神の被造物である人の形をとって、この罪の世界の降りてくださった。イエスさまは、誠に謙遜でへりくだった方だった。
そのイエスさまが死んでよみがえり、40日目に天に帰られた。そして、イエスを信じる者たちに下られたのが、助け主である聖霊だ。聖霊は信者を助け、導き、そして一緒に生きてくださる方である。信者の心に住んでくださり、信仰生活を助けてくださる。
 聖霊は信者に罪を知らしめさせる。しかし、この方も非常に謙遜である。私達が罪を認め、神の助けを求めなければ、聖霊は決して私達の先に立ってくださらない。
 

キリスト者は肉と血において生きる。同時に聖霊において生きる。
 肉を持つ人間は、肉の弱さ以上に、肉的性質に悩まされる。肉体は神さまから、祝福されたものであるが、そこに宿る、生まれながらの性質。これが耐えず、キリスト者にアタックしてくる。肉はその欲望を満たすべくチャレンジし、そして聖霊は私達に清い人生を求める。
その結果、キリスト者の内側は戦争になる。
 《なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことを、することができないのです。》 ガラテヤ5:17
 

だから聖書は語る。「聖霊に導かれなさい」と。
キリスト者の平安、謙遜、希望、喜びは、聖霊が下さるものであって、肉の行いからくるものではない。
 挟まって生きるように置かれたことには意味がある。それは、十字架に頼るためだ。キリスト者は十字架を信じて救われ、そして十字架によって生かしていただく。それ以外に天の国に通じる道はない。
 聖霊はそのためにキリスト者の内側に入ってくださった。私達が導かれる者となるために。
 

 

 

 

 

 

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