■ リバイバルがやって来る / ヨハネの福音書4章1~42 (2008-06-08)
リバイバル集会が近づいている。 リバイバル・・言葉本来の意味は、宗教的に用いるなら「生き返ること」である。 大衆の信仰心が再び活性化する現象、またそれを目的とする運動を言う、と辞書にある。
リバイバルが必要の無いキリスト者はいない。 「私にはリバイバルは必要ない」と思う瞬間、その人はリバイバルが必要なのであるのだと思う。 生まれて初めてイエスに出会い、受け入れた。あの時の不思議な毎日は、何に例えようもないものであった。しかし、やがて時間と共に、あの新鮮さは消えて行く。だが、同時にキリスト者の道を歩み始めたのである。
サマリヤと言う町に、五回の結婚に失敗した女性がいた。 彼女は既に人目を気にして生きなければならなかった。今、彼女は夫ではない男性と同棲している。熱くけだるい昼下がり、一人町外れの井戸に水を汲みに行った。この時間なら、誰とも会うはずもないから・・・・ 井戸に着いたとき、そこに一人のユダヤ人の男性が座っていた。 身なりは貧しいが、ラビ(ユダヤ教の先生)らしい。 男から彼女に話しかけて来た。「私に水を飲ませてくださいませんか?」
彼女に話しかけたのは、イエスであった。 女性がしばらくイエスと会話する中で、彼女の心が開かれて行く。 人間とは?宗教とは?信仰とは?礼拝の場所は? そして、彼女はイエスと言うメシヤ(救い主)に出会った。 彼女は、水がめをそこに置いたまま、自分の町に飛んで帰って、そして叫んだ。 「「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」
日陰暮らしの女性の叫び声には、妙な実感があった。驚いた町の人々は井戸の所に集まってイエスを見、そして聞いた。 サマリヤの町にリバイバルが起こった。 誠の神、真実なる唯一の神に出会い、その罪を赦されたからである。
人がイエスを通して神に帰る。これがリバイバルである。 神に帰った人に、悔い改めが起こる。これがリバイバルである。 人々と教会に和解と親睦がみなぎる。これがリバイバルである。
人がイエスを通して神に帰る。これがリバイバルである。 神に帰った人に、悔い改めが起こる。これがリバイバルである。 人々と教会に和解と親睦がみなぎる。これがリバイバルである。
日本は天と地を造られた神、そしてイエス(JESUS)に愛されている。 99%以上の国民がイエスを嫌おうと、イエスは日本を愛しておられる。 「JESUS FOR JAPAN」 「JAPAN FOR JESUS」と明治のキリスト者、内村鑑三師は言っておられる。 JESUS LOVES JAPAN !今までがどんな国であれ、今がどんな国であれ、イエスは日本を愛しておられる。 今までがどんなクリスチャンであれ、今がどんな信仰生活であれ、イエスはあなたを、私を愛しておられる。これを我が身のことと悟り、知った人にリバイバルがやって来る。