■ その4・万が一はやってくる / 創世記7:6~23 (2008-07-27)

万が一はやってくる! 万が一もある・・のではなく、やってくる。人は年齢を重ねると、それまでの人生での体験において、不思議はあるものだ、とつくづく悟るようになる。 若い日は橋がなくとも、足を踏み出した。出たとこ勝負で何とか潜り抜けた。しかし一方で、人生とは本当に思うように行かないものだ、という事を経験し、そして思わぬこともやってくる事を体験する。そして年齢を重ねたことで、臆病になっている部分もあるのだ。そして、年を経ると石橋を叩いても渡らない者となった。これは、あくまでも私の自論でしかないが・・・

聖書が言うように、「草は枯れ、花はしぼむ。だが、神の言葉は永遠に立つ」ところを知って、命あるものの弱さと、神の強さの狭間にあって生かされることの妙を味わうのもよいものだ。

ノアの時代、その地に住む人々は誰一人、大雨も洪水も悟り得なかった。 渇いた高地の住民にとって当然のことであったろう。それは赤道直下の島民に、大雪が降ると言っても、理解されないことと同様であった。 ノアは聴いた。やがてその地に大雨がやってきて、大洪水が起こり、すべての命ある生き物は死に絶えることを。ノアは神の声を聴いた。 そして、人々はノアをあざ笑い、神を無視した。 人間とは神を求めつつも、神を信じることは実に嫌いな生き物だ、と思う。実に、すべての人は罪を犯した(神から離れ、己が道だけを優先した)のである。

思うに私達は「神が下さった信仰を持たずに、自分の信仰(神学)を持った」のかと思う。 しかし、ノアは神が言われるそのままを受け入れた。それゆえに何十年もかけて、舟作りをした。石油タンカーの様な巨大で不恰好なものだった。明けても暮れても、ノアと息子達はトンカントンカンと槌をふるい、ノミで削り穴をあけて、舟を作った。 人々が笑おうが囃したてようが、お構いなく没頭した。 「神さまが、おっしゃった」からである。他人が何を言おうが、関係ない。「神様がおっしゃった」からだ。

気の遠くなるような時間の後、遂に箱舟は完成した。 完成するのを待っていたかのように、動物や鳥、這うものたちが箱舟にやって来た。 ノアが集めたわけではない。神さまが集められた。 そしてノアと家族が箱舟に入った。 ノアの後ろで、大きな入り口の戸が、ギギギ~と上げられ、やがてバタンと閉められた。 ノアが閉めたのではない。神さまが閉められたのだ。

箱の中は救われる世界、外は滅び行く世界。 板一枚で、一つの世界は二つの両極端の世界へと分断したのである。 万が一を信じた以上に、神の言葉を信じたノアたちは、救いの箱舟に入った。

十字架は箱舟のようだ。十字架を信じた者は救われ、信じなった者は滅ぶ。 実に単純であるが、人間は単純を好まない。引き替え、子供は単純が好きだ。 そして、イエスさまは仰った。 「あなたがたも子供のように、神の国を信じなければ、一人として救われない」と。

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