■ 古いものは過ぎ去った / 第二コリント5:17 (2008-08-03)

日曜の夕方、たわいないような内容であるが、毎週胸が熱くなるようなテレビ番組がある。 タレントの一人が日本の田舎に行き、一般の家庭に一晩の宿を求め、泊まらせてもらい、夕食をいただき、その家族と交流をし、朝が来てお返しになんらかの作業をし、別れを惜しみながら送り出してもらう。タレントの姿が見えなくなるまで、家族は手を振る。一方、タレントは「一期一会」に胸を詰まらせ、涙する。これだけのことである。 主役はタレントではない。もてなしをした家族である。それぞれの家に異なった思い出があり、歴史がある。家族の有難さが滲み出てくる。喧嘩もし、苦しみもあった。でも、家族とは実にいいもんだ。 私は毎週、その時間帯に教会から家に向かっている。 車のテレビをちらちらと横目で見ながら、たわいない流れを見て感動している。 ああ、人間とは各もいいもんだなぁと思いつつ、「一期一会」に涙する。 この家のおばあちゃんやおじいちゃんとは、もう永遠の別れになるのだろうな・・・・

去年に続いて、韓国のスヲン教会から20名以上の若者がやって来た。 9日間、教会に寝泊りし活動してくれた。暑い中、狭い会堂で身を寄せ合って寝泊りし、時には粗末な食事もあった。でも、彼らは文句一つ言わず、謙遜に行動した。

私達日本人も外国に行けば、おとなしく遠慮深い。欧米人の心を打つ。国民性である。 だが、彼らは謙遜であり、実に控えめである。国民性ではない。キリストを見本として生きているとしか思えない。そこが素晴らしい。 去年の滞在時、彼らが帰る際には「一期一会」の思いがあった。しかし、去年と同じ顔を幾人か見て、韓国のクリスチャンとは「主にある友達」となったことを感じた。 日韓問題を踏み越えて、彼らが先に私達に愛を示してくれた。 過ぎ去った歴史は変えられないが、今からは変えられるという、メッセージを持ってきてくれた。

いつまでも過去に囚われていては、未来はやってこない。 過去の歴史を受け入れ、認め、そして足を踏み出すなら、将来に希望を見る。 「古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなった」と聖書にある。 キリストにおいて、人間関係は変えられる。修復できる。和解が起こる。

憎しみは破壊しかもたらさない。 赦さない心は自らを傷つける。 十字架はこれらを背負った。イエスはそれらを背負って死んでくださりよみがえられた。 キリストにあって超えられない山はない。キリストへの従順は山を動かすからだ。 心の壁をイエスは打ち砕く。イエスの愛と十字架が打ち砕く。 聖書は言う。「誰でも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者である。」

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