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■ ノア最終章・たまに後ろ向きも悪くはない / 創世記9:18~29 (2008-09-21)

September 28, 2008

どんな人も、その人生において、限りなく失敗する。
 人は実に、失敗する生き物である。
 聖書の登場人物は皆、失敗した。
しかし、そこに自分を見る。だから、共感する。失敗を共感するところに、救いへの道が開かれる。他人事と決め付けて、無視し続ける人は、心が開かない。
すると、神さまが働かない。働かれなければ、救いがない。
つまり、神は人間が弱さを認める世界に働く。そう、弱さは隠す必要などない。少なくとも、キリストの前には。
 

ノアはある日、ぶどう酒を飲みすぎて泥酔した。
 彼は素っ裸になって大の字で寝ていたと、思われる。そこへハムと言う息子が入って来た。
ハムは父の姿を見て驚き、表に行って他の兄弟にそのことを告げた。
ところが、聞いた二人の息子は後ろ向きになって父の部屋へ入り、その姿を見ずに父の体に布をかけて覆った。
 

この箇所、後ろ向きに入る息子達に対し、父への思いやりと謙遜を見た。
そこで、実際に「後ろ向き」という事を考えた。
 

 何事も前向きが良いが、たまには後ろ向きが必用なときもある。
たとえば、礼拝には二つの意味が込められている。
 先ず、神に向かう。これは前向きだ。
そして、礼拝者は自分に向かい合う。神に向かったその目で、今度は自分に向かう。
 静かに自分に向かい合ったとき、人は自分の罪深さを知る。その時点では後ろ向きとも言えなくはない。後ろ向きだから、自分の罪に出会えるのではないか、そう思った。
 

 『汝ら静まりて我の神たるを知れ』文語訳の詩篇46:10にある。
ここでの静まるとは、誰かのことを考えたり、想像することではない。
 静まるとは自分に向かい会うことだ。物言わず、言い訳せず、ただ、あるがままの自分に向かい合う。失敗続きの、我が人生に出会う。
そこで人は誰に出会う?自分を憐れみ、慈しみをくださる神に出会う。
そうすれば、あなたは神の神たるを知るから、と聖書は言う。
 

 神はどれほどの赦しと憐れみを私に下さっておられるのだろう。
それは限りなくである。
 神が私の、あなたの失敗や裏切りに対し、どれだけ後ろ向きになってくださったか?
どれだけ、見て見ぬ振りを、知っていながら知らない素振りをしてくださったか?
 

そう、たまには後ろ向きも良い。
 前向きに疲れたら、後ろ向きになって見たら良い。
そんな場面で、本当の自分に出会うかも知れないから。
 

 

 

 

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