■ アドベント3・主は真っ直ぐな道を来られる / マルコの福音書6:14~28 (2008-12-14)

人間、その心は必ずしも真っ直ぐな人はいない。 正しい人、善良な人は多い。しかし、真っ直ぐではない。 100%真っ直ぐな人間などいない、と思う。 「そんなことはない」と思われる人が仮にいたとするなら、先ず、ご自分を確かめていただきたい。そうすれば、他の人のことも、お分かりになると思う。

バプテスマのヨハネ、彼は確かに真っ直ぐだった。 イエスが彼を指して言ったことば。 「律法と預言者はバプテスマのヨハネまでである。」ルカ16:16 確かにそうであった。 彼ほど真っ直ぐな人はいなかった。 自分の命を決して惜しまず、ひたすらメシヤの到来を人々に伝えた。 「悔い改めよ、天の御国が近づいた!」

ヨハネ、その風体からして実に異様であった。ラクダの毛の衣を身にまとい、腰には皮の帯を締め、食べ物はイナゴと野蜜であった、と言う。 そこに彼の、決して俗化しない潔癖な人間の資質を見る。 まさに、「荒野で呼ばわる者の声」(イザヤ書40:3)その者であった。

ヨハネは時の王、ヘロデ王に向かって「あなたがしている事は不法である。」と言い放った。 ヘロデの妻、ヘロデヤは王「兄の妻」であったことと、王はヘロデヤ欲しさに、前の妻を強引に離縁したからだった。 ヘロデはヨハネの言葉に怒って捕らえ、牢にぶち込んだが、その処遇には困っていた。 なるほど、ヨハネの言い分は腹が立つが、それ以外の部分では、陰陽なく真っ直ぐな言葉に対し興味と好奇心をかきたてられた。 王は喜んで耳を傾ける時が決して少なくなかったのである。

ある晩の宴席、ヘロデヤの娘が宴席を盛り上げる様な踊りを舞った。 場は拍手喝采、大変な喜びようであったが、それを見たヘロデは益々有頂天になって思わず娘に言った。 「お前の踊りは実に気に入ったぞ。何でも欲しいものを言うが良い。何なりと申してみよ。」 娘は母のところへ言って聞いた。 そして再び王の前に跪き言った。バプテスマのヨハネの首が欲しゅうございます。」 王は迷った・・・

そして、私達は迷う・・・・ 目の前の選択、迫られる決断、どちらに立つべきか。 自分が良いと思うからか、又はキリストの導きを優先すべきか。 得するほうか、損することか。 保身的な道か、自分をへし折っててでも他者の利益か・・・

ヘロデの自我は勝った。権力者のプライドを脱ぎ捨てる力など持ち合わせなかった。 やがてヨハネの首は盆に載せられて王の前に出された。

人間は自我に支配される生き物だ。 真理が好きでも、キリストを嫌う。 宗教は好きでも創造主を認めない。 道理は好むが、自我が優先する。

自我からの解放はキリストしか出来ないことである。 人が己が弱さと醜さを抱えたままで、「そのままで良いから、わたしの元へ来なさい」と言ってくださる方が、どこにおろうか。

水は低きに流れる。 しかし、真っ直ぐでなければ流れない水もある。 それは生ける命の泉から湧き出る水、聖霊の水である。 心が神に対して真っ直ぐであれば、その人は聖霊の川となる。 心が神に対して真っ直ぐであれば、他の人に対しても真っ直ぐである。 まるでイエスさまの様に。

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