■ アドベント4・神さまからの贈り物 / ヨハネ1章4と9節 (2008-12-21)

クリスマスは、神さまが人間世界に贈り物をされた日を記念して、生まれた日である。 贈り物は赤子の「イエスちゃん」である。 神さまの愛が形になった日だ。

ヨハネの福音書一章は必死にいのちをアピールする。 神は生きておられる!神は存在される!神は物ではない! そして「この方に命があった!」と言う。

人間は魂、肉体、そして霊性の存在である。しかし、死ねば肉体は物体に近い。命有るものの宿命である。死ねば体は朽ちて行く物体でしかない。 すると、人に宿っていた魂はどうなるのか?霊性はどうなるのか?ここが分からない。 だから宗教が生まれたのか。 いいや、霊的生き物ゆえに、宗教が生まれた。宗教を求めたのである。 他の生き物は宗教を持たない。人間だけが宗教を持った。それは、人間が霊なる神によって造られ、魂としての存在に、霊を吹き込まれたからだ。 だが、人間は本来の神ではなく、自分達に都合のよい神々を造った。これが「罪」である。

ヨハネ一章9節は、御子の降誕を待つアドベント、そのものを語る言葉である。 『すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。』

まことの神さまは、実に人類を愛された。それは人間こそ、神さまの傑作であったからだ。 それは完璧であった。 聖書は言う。「見よ、それは非常に良かった。」創世記1章31節 私達であれ、自分の傑作は自慢する。誰にでも見せたい。誇りたい。 しかし、神さまの傑作は造ってくださった方を誇らず、自分を誇った。ここにも罪が存在する。

創造主は離れてしまった被造物に対し、主は敵意を抱いたり、恨み言はいわれなかった。 ひたすら、時を待った。離れてしまった人間達が、その原点、つまり神に帰るそのときを。 イエスはそのためにお生まれになった。 イエスは神の愛が形になったことの象徴である。 私達にせよ、幾ら愛していても、言葉にしなければ伝わらない。 もしかしたら、言葉よりも行動にすれば、もっと相手に伝わるであろう。 そして神は人間世界に、最高の愛の表現を実行に移された。 それがイエスの誕生である。

イスラエルはベツレヘム、イエスは貧しいが清くて若い夫婦を親として生まれた。 母のマリヤは、その時も処女であった。イエスが生まれるまで、彼女は処女であった。 時代は暗かった。ローマの占領下、貧富の差が激しく、人々は圧制と貧困に苦しんでいた。 ユダヤの民の幾人かだけが、救い主の到来を待っていた。本当に僅かな人たちだけが。 だから福音書は語る。 「この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」 実に初めのクリスマスは淋しく辛いものだった。 否、33回目のクリスマスはもっと辛いものだった。それから百年目も、更に百年目のクリスマスの辛いものだった。

いつの頃からか。きっとローマがキリスト教を国教としてからか。ローマカトリックになってからか。 イエスのご降誕が、人々の心を癒し、平和を祈り、平安な思いに導き、キャンドルの灯りの向こうに、赤子のイエスを思わせたのは。

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