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赦されざる者が赦された・・・ / マタイ5:23~24 (2009-02-01)

February 1, 2009

今週の主日、私は韓国にいる。
 初めての国。日本に一番近くて最も遠かった外国。それが韓国である。
 韓国教会からの熱いアプローチにより、私達の教会と交流が生まれた。
 結果、初めての訪問となった。
 私たち日本人には架け橋を掛ける事はできなかった。彼らが架け橋を掛けた。痛みを受けた側が謝罪の花束を持って、日本海に掛けられたキリストの橋を渡って、やって来たのである。
 「横たわる韓日問題、これは日本が悪いのではない。赦さない韓国が悪いのだ。」と、オンヌリ教会ハ・ヨンジョ牧師は仰った。それはキリストからのメッセージ以外に無い、と思う。

 

この国に行くことになった時から、一つの場所を最初に見たかった。
 帝国日本の襲来と占領下、支配の記録が展示され、記憶からも消せない場所。
それが天安(チョンアン)にある「独立記念館」である。すべて国民の寄付により建てられた記念館。広大な場所と記念館を包むのは半島の冷たい冬の風と空気だけでなく、日本が認めたがらない出来事と、消されてしまいそうな記憶の怒りかも知れないが、それ以上に、韓国民の歴史に対する悲しみと民族としての誇り、更に一つの民族が南北に裂かれた不条理、そして統一への願いそのものであったように感じた。
 

 1945年の終戦時、日本列島が四つに分断され、四つの外国、四つの思想に支配されなかったことを、日本国民は誠の神に先ず感謝すべきである。それは奇跡であったとも思う。
8月15日、韓国においては自由を勝ち取った勝利の日であり、喜びの歌を歌う日であり、まさに国民の祝日である。
 一方、我が国においては、終戦記念日と呼ぶが、実際、天皇が国民に向かって敗戦を宣言した日である。いわば、敗戦記念日である。
 

 決して大きくはない日本と韓国。だが歴史においては実に長い関わりがある。
 関わりと言っても、友好的な交流ではなく、侵略、統治、蹂躙、迫害といった強者の驕りを朝鮮半島の歴史に刻み込んだのである。
 先の戦争は日本人の体質を露呈し、後世においても決して誇りとならない汚点を残している。
 

 日本であれ、アメリカの原爆を投下され、残虐無比な深い傷を受けている。被爆者の苦しみと悲しみは、もっと世界に向かって発信されるべきである。
だが、それはそれ、これはこれと言った足し引きでは片付けられない。負は負として、事実は事実として求め、非は非として行くところに未来が開かれると思う。
 特に韓国との戦後の関係を見ると、日本政府からの謝罪と事実承認が欠落していたと思う。
 従軍慰安婦の生き残りの婦人は日本政府に向かって叫ぶ。
 「お金が欲しいのではない。事実を事実として認めて欲しいのです。」
 

 日本は謝罪すべき時にしなかったことで、永遠にその機会を失った。
それは韓国からだけでなく、世界から見ても「何となく信用できない国」の印象を与えた。
これは国の問題であるが、究極的には人間一個人の問題である。政府の上層部、そして数名の勇気ある決断がなされなかった。
あやまること、謝罪することは、誰だって苦手である。しかし、だからこそ、それを敢えてして行くところに尊さがあり、価値があるのだと思う。
 

 赦すことは苦しくきつい。何故なら、それは自分に非はなく、相手に問題があるからだ。そして、赦すことの意思決定の迫りは自分である。
しかし、赦されないことはもっと難しく、厳しい。
それは、相手に100%の負担がかかるからだ。
 

 韓国民のパワーと情熱は凄い。あの迫力を我々日本人は持たない。
あの情熱の出所は、決してキムチなどに拠らない。私は以前本気でそう思ったし、そう考える人も少なくない。
あの情熱は、数百年にも渡る苦しみの歴史を生き抜いた民族の血から出たものであり、試練が育てた魂によるものであろう、と思った。
 大統領であろうと、為政者であろうと、政治決断であろうと、納得出来ないことは断固、命と体を張って抵抗し、抗議する。
 日本人が絶対に真似が出来ない領域である。
 

 日本は産業、経済といった分野ではアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国である。
しかし、人間の内なる「人間としての真価と言える部分」、すなわち、霊性面においては、やはり浅いと言うか、貧しいと言うしかないのだろうか。だが、それはこの国の国民性でもある。情緒豊かで、風流を理解し、侘びさびを好み、思いやりが出来る日本人なのに、どうして霊性面において未熟なのだろうか。
それは果たして、自然界そして動物から人までをも神々として崇め奉った先祖を持ったことが、歴史の過程でこの国民性を育て上げたと言えないだろうか。
 誠の神、唯一の生きておられる神こそ、これらの弱さを強くする。
 誠の神への信仰と、キリストの十字架を知らない民に、福音を通して伝える義務を我々は、神から与えられている。
 

 天安の記念館の入り口にそびえる塔。下部から二つに分かれてそびえる形は、「祈る手」を象徴している。あのモニュメントから韓国民の叫ぶ声が聞こえてきそうだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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