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■ 金か神か? / ルカの福音書19章1~10 (2009-02-22)

ある晩、強盗が忍び込んだ。手に出刃包丁(大分、時代がかっているが・・)を持って、家人の喉元に突きつけ、言った。
 「声を出すんじゃねえ。命が欲しいか、それとも金を出すか?どっちを選ぶ?」
 震える声で答えた。「ど、どうか命だけは・・・金、金を持って行ってくれ・・」
 

この家は運悪く、次の晩も強盗に入られた。
 (ところが、この晩の強盗はかなり変わっていた。)
 強盗は昨晩と同じように包丁を突きつけ、押し殺した声で言った。
 「金か、神か、どっちを捨てる?」
クリスチャンの家人は思わず言った。
 「金だけは・・・いや、神、神を持って行ってくれ・・」
 

 新約聖書の言葉は実に耳が痛い。
 耳が痛いのではなく、心が痛いのであるが・・
 なぜなら、「金か?神か?どちらを取るか?」といった場面がやたらと多い。
 

そして、その意味も聖書は指摘する。
 「人間は二人の主人に仕えることは出来ない。一方を尊び、一方を疎かにするからだ。」
また、「あなたの宝のあるところに、あなたの心があるから」とも語る。
 昔と違い、かなり裕福になった日本社会において、私達の宝も増えた。
 事業、財産、金銭、物、楽しみなど、多くの宝がある。
その中でも、金銭は実に誘惑そのものと言える。
 王から貧者まで、子供から年寄りまで、人間の魂を牛耳っているのが金だ。
 金を牛耳る積りが、やがて金に牛耳られる。これが、人間の宿命だろうか。
 

 私達の教会は、こういった面では、主からのチャレンジと祝福を受けている。
 会堂取得、隣家の取得、増築工事、更には隣地の取得、実に不動産がらみのチャレンジが絶えない。
そして、今は会堂の全面改築を待っている。小さい教会なのに、とてつもなく大きな挑戦を受けて来た。
しかし、実に光栄なことである。なぜなら、それを受けるに相応しい、と神さまが考えておられると、信じられるからだ。
 

 借金は財産。零細事業に関わって40年の私が学んだ哲学?である。
 銀行は信用できなければ、お金は貸さない。
 故に、借金が出来るということは、信用がある、と言うこと。
 私は40年やってきて、最高の信用を得た。
それは、担保無しで借り入れが可能になったことである。信用のみ、実に気持ちが良い。
これもクリスチャンになってからの、イエスさまからの祝福である。アーメン
 

 ザアカイ、私の好きな人物である。
 何がと言って、これと浮かばないのだが、イエスに呼ばれてホイホイと木から降りたときの素直さかも知れない。あれほど、素直になれること自体が羨ましい。
イエスに会うまでのザアカイ、おそらく素直ではなかったと想像する。
 自己中心、他人の口など気にしない。
 俺は俺、人からの陰口や文句など馬の耳に念仏、と言ったところだったであろう。
 

 金だけが頼り、血も涙も無い男、であったザアカイ。
そんなザアカイを名指しで呼んでくれたイエスさま。
 世間は彼を見下ろし、「罪びとザアカイ」と言われ、自分中心の狭い世界で生きたザアカイ。
しかし、ザアカイが無意識で求めていたものは、やはり愛だったのである。
 動物であれ、変わり者であれ、生き物はやはり愛を必要とする。
 

 世間がどれほどザアカイを嫌っても、ザアカイを愛した方が一人だけ、おられた。
その方は生ける神の御子、イエスであった。
 神の愛はザアカイの岩のように堅い人間性を、アガペーの愛によって、溶かして砕いた。
 

そして、ザアカイはその日、「金よりも神」ナザレのイエスを選んだ。
そして、その瞬間、ザアカイは変わった。
ルカの福音書19章8節
ザアカイは立って、主に言った。
 「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
 

 

 

 

 

 

 

 

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