■ Open the door  / ヨハネの福音書4章3~16 (2009-06-07)

生ける命の水、どんな味?説明できません。 生ける命の水を飲むと何が起きる?説明したって信じてもらえません。 そうです、飲んでみなけりゃ分からんのです。 飲んでみたら、分かるのです。 それはキリストさまと同じです。 幾ら説明したとて、納得などしてもらえないのです。 でも、信じてみたら分かるのです。信じるとは、キリストを自分の心にお迎えすることです。だって、誰だって分かりもしない相手を、信じられる筈がないでしょう? だから、飲むのですよ。お迎えするのです。

と、こんな思いを20年以上も持ち続け、色々な人々を相手にして来た。 殆どの人は笑って黙して去って行き、ほんの一握りの人だけがイエスを向かえた。 彼は救いのために来られたが、もう一つ、裏切られるため、無視されるためであったのか。 牧師としては、そんな思いも感じてしまうが、それでもイエスさまは微笑んでおられるような気がしてならない。 ふと、こんな呟きを想像してしまった・・・ 『何をあせるのか。誰を責めるのか。仕方ないだろう。結局、人間の選択なのだから。』 全能の神さまに「仕方ないだろう」と言わせてしまうことに妙な違和感がある。張本人は私であるのに。

サマリヤ町のはずれに井戸があった。 実に古く由緒ある井戸だが、水はいつも溜まっていた。 一人の婦人が水を汲みに来た。 それも、真昼間、暑い最中である。毎日、お昼の時間、彼女は井戸にやってきた。 だが、それには理由があった。 その理由は単に人目を避けたい、だけであった。しかし、彼女にとっての問題は井戸の底の様に実に深いものであった。

イエスはただ一人、井戸の傍らに腰掛けられた。 喉が渇いておられた。やって来た婦人はイエスを見たが、無言で水を汲んでいる。 突然、イエスは彼女に問われた。「私に水を飲ませてくださいませんか。」

サマリヤ人はユダヤ人とは口もきかない。互いに毛嫌いしている関係は実に7百年のイスラエルの歴史がもたらしたものだった。先祖は同じヘブル人であったのだが。 女性はユダヤ人のラビ(教師)らしき男性から声を掛けられたことを訝った。 ここから二人の会話が進展する。 水、そして民族問題、そしてイエスが言われた「不思議な水」のこと。 そこまで到達するのに、ほんの一、二分であった。

彼女の生活には問題があった。 プライバシーの恥部は水そのものではなかったが、目の前の先生の言葉を聞いていると、重荷から解決されそうな感じさえした。 彼女の好奇心のドアが開き掛けた。 「どうか私に、その「生けるいのちの水」を分けてください。ここに汲みに来なくても済むのなら。」

女性は渇いていた。彼女の人生が渇いていた。 もうどうしようも無い。後戻りも出来ない。ならば、今の生活を続けるしかない。 かといって、満足しているわけでもない。惰性に流され、生きるしかない日々。 多くの人々がその様な人生を歩んでいるのだろうか。今も・・・ 彼女の目に瞬間、生気が感じられた。 ・・・生けるいのちの水?そんなこと初めて聞いた。もし、あるのなら欲しい・・・

続いて彼女に語られたイエスの言葉。 「行ってあなたの夫をここに呼んで来なさい。」

人生とは実に多くのものが詰まっている。 人に言えないことも少なくない。 誰に相談できるわけでもなく、やり過ごすか、心の奥底に埋めてしまうか。 人はそんな思いを抱いて、生きて、そして死んで行くのだろう。 神はその様な人間を哀れみ、慈しまれた。 だから、救いの手を伸ばされた。そして、イエスはこの罪と不条理の世に降り立った。

たとい、その人がどんな人生であろうと。どんな人格であろうと神にとっては問題ない。 人種も言葉も生活も神にとっては関係ない。 ひたすら人間を愛し、慈みの目で見ておられる。 神の一人子は言われた。 「わたしに水を飲ませてくださいませんか?」

彼は渇くために、この世に来られた、と私は思う。 それは私達が彼によって潤うためである。 十字架の上でイエスは呻いた。「わたしは渇く。」その数分後、イエスは息を引取られた。 即座、兵士の槍が彼のわき腹を突き刺した。 わき腹からただちに水と血が出てきた。(ヨハネ19章)

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