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■ 金よりも銀よりも / 第一ペテロ1:17~19 (2009-10-04)

October 4, 2009

この世が宝とするものは?
それは銀であり金である。
きれいごとは幾らでも並べられるが、とどの詰まり、やはり金になってしまう。
 金銀は価値がある。しかし、それよりも価値あるものを探し、見つけて行くことが人間に課せられた神からの問い掛けだと思う 。
 必要なものが金であっても、最重要なものは、金を必要としないものなのだから。
 人はこの世を終わるとき、金銀の欠片さえも何の役にも立たない。
そして人生、金銀から解放されたら、どれほど楽だろうかと思う。
 金銀も権力も、その力を発揮できない世界がある。

 

ペテロ第一の手紙1章は語る。
 「私達が贖い出されたのは銀や金のような朽ちるものによらず、傷も無い子羊のようなキリストの尊い血によったのです。」
 金銀のだが・・・
金銀は貧しい人を助けるが、同時に人間の心を捕まえる。
 人間の心を支配し、その人格さえも変えてしまう。
 

 金銀は人の魂を満たせない。
 普通に考えなら満たせると考えるが、益々貪欲に変えてしまう。ここが恐ろしい部分だ。
 人間の心には向上のためであろうと、そうでなかろうと、常に情熱や欲望が限りなく存在する。
 豊かさを求めて行って、平安を得ることは出来ない。
 平安を求めるなら、貧しさの中でさえ得られるものだ。
 金銀と平安は決して同居しない、と考えるべきである。
 

 救いはイエス・キリストの血によってのみ得る。
 平安はキリストにある。

 

 戦後の日本は貧しかったが、明日を夢見る希望があり、人と人のふれあいが豊かだったと思う。
すべてを失ったがゆえの強さであったろうか。
 家族も誇りもプライドも力も失い、失うものが無くなった人間は強かった。
 同時にキリスト教会のリバイバル時期でもあった。
しかし、豊かさが物であり、形となって家庭にのさばった頃、人々は変えられてしまった。
そのことに気がついたとき、既にブレーキどころかハンドルをきることも出来なかった。
もう昔に戻れないことが、人々の焦りであり重石でもあった。
 既に岐路は見失い、一本の道をどこまでも歩き続けるしか、なかったのである。

 

 教会の礼拝、朝日が差し込み、賛美歌が流れスタートする。
 様々な思いが人々の心に去来する。
この世に在りつつ、この世で得られない世界がここにある。
 礼拝は人が造るものではなく、キリストからの贈り物である。
ここには金も銀も要らない。
 向き合うものは、我が魂、我が存在、そして我を救い赦し給うたキリストである。
 

 

 

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