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■ 人は結局、何にも分かっちゃいない / ヨブ記23:1~17 (2010-02-21)

February 21, 2010

ヨブは友人に向かって自分の生き方に、過ちの無かったことを叫ぶ。
そして彼は神に向かって叫ぶ。
 「神よ、私はあなたに訴えたいことが山ほどあります。
 尋常でないこの苦しみは一体何のためですか?
 出来ることなら、あなたを拝し、そして私の言い分を聞いて欲しのです。
しかし、私は知っています。
あなたが既に、お決めになったことは、誰も変えようがないことを。」
 

ヨブをどう見るか、人それぞれに思いがあるだろう。
それはそれとして、私は一つの点で彼の凄さを認めたい。
それは、どれ程の苦しみと悲しみを受けようとも、彼は神の前に留まり続けたことである。
 「神を呪って死になさい。」とまで、ヨブの妻は言った。
だが、ヨブはその言葉さえも退け、自分は神の前に居座り続けた。
 凡人には出来ないことである。
そこまで神を仰ぎ続けることが人間に出来るのだろうか。
 瞬間的に殺されることのほうが、より容易いのであるが、ヨブはジクジクと苦しみを味わうことを強いられた。来る日も、来る日も、である。
 

ヨブ記に関して言えば、誰があるべき正論を吐けるだろう。
 第三者の言葉など、ヨブの耳には入らないであろう。
ヨブが求めたのは、人々からのア進言やドバイスなどではなく、神からの直接的な語りかけであったと思う。
 仮にヨブに与えられた苦しみの意味の解き明かしでなくても、神さまが直に語ってくださる言葉であるなら、ヨブは納得したのかも知れない。
しかし、そこでも浮かび上がって来る事は、やはり「私は決して間違っていない」と言う彼の自負であり自信なのであろうか。
 

 人間である私達は、神さまのことなど「何にも分かっちゃいない」ということではないだろうか?
 神さまに関して分かったことは、天と地の創造者、全知全能なる方、救い主イエスを人類の罪のために下さった神、だから「神は愛なり」なのである。
 

 人は何人(なんぴと)も自分は間違っている、などと思っていない。
 僅かに間違っていても、である。
 全くの自己中心的生き物などと、本心と、そのすべて底の底までほじっても思ってもいない。
 多少は認識していても、である。
 

ちょっとした小さいことさえ、私達は勘違いしていることがある。
 当然ながら罪意識にしてもである。
 見方を少し変えたら、簡単に悟ることもある。
 心から素直に自分を見つめ、根っから正直に生きている人が、どれほどいるのだろうか。
 

 人は過去など修復できない。過去は変えようがない。
 人に出来ることは、今から先を変えることである。しかし、それさえも自分の力では出来ない。
 人間が己の現実と内側を冷静に認め理解出来るとしたら、神そのお方が少しは分かってくるかと思う。
 人間は、神の前に黙って座ることが何と苦手な生き物なのだろう。
 私自身を見ても、そう思えて仕方がない。
 

 

 

 

 

 

 

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