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■ 仮に自分はこう思う、だとしても・・・ / 第一ペテロ2:22~3:7 (2010-05-02)

第一ペテロの手紙3章より
同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。
 

 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。
 

 妻達へ、夫達へ・・・
手紙の言葉は何れも耳に痛い響きがある。
おそらく多くのクリスチャン夫婦にとって、胸に突き刺さる言葉であろうと想像する。
2千年前の男尊女卑の激しい時代、そして複数の妻を持つ男性も大いに居たであろう時代の手紙である。
それでも現代の私達に対し、充分以上に耳が痛い原因は何故だろう。
やはり、永遠なる神の言葉であるからだろうか。
また時代がいつの世であろうと、夫婦が神に向かって生きる姿勢に求められるものは決して変化が無いためであろうか。
 

 夫婦に向かって語られる言葉の行く先は、やはり神との関係と祝福へ向かっている。
 人間的な目先の対応だけで生きるのでなく、目に見えない神の前に生きているんだよ、とでも言いたいペテロの顔が浮かんで見える様だ。
 結婚前に、この様な教えと示唆を知っておくだけでも、結婚に向かう二人の考えは変えられると思う。
 夫婦関係とは、あくまでも有限ではあるが、神が真ん中におられるなら無限の愛の中である。
 本当に美しい夫婦とは、やはりキリストを中心にした家庭である。
そこに問題も存在するであろう。
しかし、神が二人の間におられること、そして二人がキリストに従うとき、その小さな世界は無限に存続する。
 

クリスチャン夫婦は一番小さい教会である。
 最も人間的な教会かも知れないが、一番ストレートな教会の姿を見せる。
 正直であり、隠すこともできない人間の本性が現われる教会でもある。
しかし、覚えよう。この教会こそ神の栄光が最も現われ易い場所であることを。
 

アブラハムとサラ、この夫婦は神の栄光と奇跡を体感し、目の当たりにした家庭であった。
 彼らは神の約束を生で聞きながら従いつつ、時として人間的な対応をして問題を生み残した。
 奴隷女のハガルとイシュマエルに対して、どれほどの痛みを与えたろうか。
それさえも時として現代の教会が見せる一面である。
その様なアブラハム夫婦だが「ここ!」という局面では神を信じ、そして従った。
 

 先週、アンデス5千メートルの高地に、パラボラアンテナの様で非常に大きな電波望遠鏡が20数基建設されている場面をテレビで見た。
その望遠鏡で映し出した宇宙に輝く星と数を見て実に感動した。
 遠い昔、神がアブラハムに見させられた星輝く光景は、おそらくアブラハムが見たものだったであろうと想像したとき、心が震えた。
 大小のダイヤモンドを隙間無く、限り無く散りばめた星は数えることなど、とても不可能であった。
そして神はアブラハムに仰せられた。
 「あなたの子孫はこの様になる。」アブラハムはそれを信じた、と聖書にある。
 旧約の世界は神も人も実に大らかであった。
 

そして、かのイエスは人間の心の奥底に、澱んで動かぬ沈殿物の様な存在のために十字架で死なれた。
 美しい空の星に感動する人間が持つ、もう一面のために彼は惨たらしく殺された。
 

 

 

 

 

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