■ 瀬戸際で出会う神 / 第一ペテロ4:12~19 (2010-06-13)

瀬戸際・・・安全と危険、成功と失敗、生と死、こられの分かれ目であり、差し迫った場面を指して言う運命の分かれ道の様なものだ。

つまり、人間にとって凶か吉の分かれ道である。 しかしどっこい、そこで待っておられる方がいることを知るのは、果たしてクリスチャンだけであろうか? もしそうであるなら、残念至極である。

瀬戸際に好んで立ちたい人などいない。 しかし、瀬戸際でなければ会えない方がおられることも事実だ。

日本人は生活に余裕があり、物事もそこそこ進んでいるなら、誰だって神など求めない。 正月に神社で手を合わせ、賽銭箱に小銭を投げ込んで分からない神々に一年を託し、家では仏壇に灯明をあげる。 私の育った環境はこの様なものだった。 だが、やがていつか言うのである。「神も仏もあるものか。」 そんな輩が33歳で知った神。いいや、知らなかったけど信じたら神がおられた。 瀬戸際ではなかったが、神は私に出会うべく、心の戸の外に立ってくださった。

ペテロの手紙が送られた対象の信徒達、信仰に生きるには余りにも辛い環境であった。 手紙の内容がそれを物語っている。 襲いかかる火の試練と表現されているが、そういう場所で生ける神を信じ続けること自体、非常に辛いものがあったろうが、しかし、そういう局面であるからこそ、神から目を離したら生きられないことも事実であったろう。

信じるとは任せることである。 神に降参することである。 自力で何とかなる次元を越えたら、すべてを神に賭けるしかない。 そういう思いになれるのは、瀬戸際である。 瀬戸際で勝利した者は強いと思う。なぜなら、そこで出会った全能の神を知ったからだ。

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