■ 謙遜とプライド / 第一ペテロ 5:1~7 (2010-06-20)

シーソー、英語ではSEESAWと書く。

上がったり下がったりして遊ぶ中で「見えた?」「見えたよ。」てな調子だろうか。 片方が上がれば、もう一方は下がる。真ん中の支点を挟んでバランス遊びである。 謙遜をプライドに置き換えると、うなずけるものが見えてくる。 謙遜が下がれば、プライドが上がり、プライドが下がると謙遜が上になる。

人間の内側もシーソーの類いが幾つか見えている。 優しさと怒り、傲慢とへりくだり、否定と肯定、消極的と積極的、前向きと後ろ向き等々。 同じ一生を生きるなら、前向きがいい。肯定的が良い。建設的が良い。 なぜ、そう生きられないのだろうか、私達は。 優しさとへりくだり、素晴らしい人生になるのに・・・だが、そう行かない。 これほどイエスに愛されているのに、どうして否定的、消極的に神経や感情が先に働いてしまうのかと嘆き節は止まるところを知らず。

人間の血液の中にはコレステロールがある。悪玉と善玉の二種類がある。 その悪玉が減れば良いのに、妙に減らない。この悩みは大勢の人たちの悩みである。 善玉が増えれば悪玉は減るはずだが、善玉は一向に増えない。 丁度、人の心の中の様々な働きと比例しているようで、何とも皮肉であり滑稽である。

神さまから賜物としていただいた信仰にまかせれば、随分と前向きになれるのになぁと思う。 我らの神は建設的であり、クリエイティブなGODである。実に素晴らしい、のである。 なのに、中々そうなれない。悔しい。 榎本保朗先生はこう仰っておられた。 「この国の日本人がみんなクリスチャンになることよりも、本物のクリスチャンがいることが大切だ。」 実に納得する言葉であるが、果たして自分は本物か?ウ~ン・・・

金田福一先生の言葉。 「信じるとはまかせることである。まかせるとは、もう心配もしないし、頑張らないことだ。」・・・納得である。 と、いうことは、私はまかせていない?信じていない? これでまた、消極的になってしまいそうである。 そう、どうもまかせていない、としか言い様がない。つまり、自力である。自分で頑張ってしまうのである。 そして疲れて、嘆き節が始まる。 だが!ここからだ。『こんな者なのに、イエスさまはあきらめもせず、今日も一緒に居てくださるのだ。アーメンです!、主よ!』(よし!元気になったぞ。) 後は上がるのみだ!

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