■ あなたは変る必要がありますか / 第一サムエル記3:11~21 (2010-11-07)

神は少年を呼ばれた。 「サムエル、サムエル」 有名な箇所である。 四度目にサムエル少年は応えた。「はい、ここにおります。何か御用でしょうか。」

神が語られた内容は、これから祭司の家に起こるであろう恐ろしい出来事であった。 祭司エリの息子達は、神を侮辱する行動で祭司の家とイスラエルに対して、大きな罪を犯し続けていた。 エリは既に同じ内容を聞いていたが、息子達の行動を非難し改めさせることをしなかった。 祭司とは直接的に神に仕える立場であり、責任と任務を負いつつも、祝福は余りあるものであった。 神のなさる忍耐は想像出来ないほどであるが、それが限界に来る程にエリの息子達の行状は常軌を逸していた。

新約聖書でクリスチャンは万人祭司であると語る。 私達は他者のために祈りをもってとりなし祈る。これは何と素晴らしい祝福であろうか。 そこには自らの生き方をもって神への応答を果たすことが含まれる。 大きな祝福を受けた者は、その人生が神への応答になることを忘れてはなるまい。 エリは分かっていながら、自分を変えなかった。

人間は果たして変ることが出来るか? これは私自身への問い掛けであり、私自身が出すべき答である。 「人は生涯、変わり続けられる。」が私の答である。 しかし、そのためには実に長い時間が必要である、と思った。 特に性格、性質に関わる部分は本当に変わりにくい。 また生涯変わらない部分もあると知った。 だが、神が関わってくださるなら、必ず変れるのである。

先ず、変りたいと思うことが優先である。 神はその思いを尊ばれる。 その事は神の作業であるからだ。 それを認めた上で、「神が変えて下さる」と信じることだ。 そして、神に感謝しよう。 これだけであるが、折角辿り着いたのだから、ぶれずにいることである。 それが神への誠実であるからだ。。

世の中、どれ程の人が「変りたい」と願っているだろう。 ならば、キリストを知ることである。 人は自分の力で自分を変えることは出来ない。 しかし、キリストは時間がかかろうと、必ず変えて下さる。 十字架の上で主が叫ばれた声は、自分にあきらめ掛けた思いを砕く。 「父よ、彼らを赦し給え、彼らは自分が何をしているかわからないのですから。」

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