■ 適用(application) / イザヤ書11:1~10 (2011-12-11)

神さまは永遠であり無限。人間は生きてもせいぜい80年前後という時間の有限世界。 神は天つ国。人間は天の下、この世。 そして神さまはその一人子を天の下に送りなさった。 つまり、栄光の主は聖なる都から罪渦巻く人間世界へ、世びとの救いのためにご自身を適用された。 それ以外に人間が救われる道はなかったからだ。

イザヤ書は凡そ今から2750年前に書かれた。 というより、預言者イザヤは神からのみ告げを語り、それが書き記された。 2750年前というと実に弥生時代である。 弥生時代と名づけたのは当然、現代人である。 つまり、私達は弥生時代に語られた神さまの言葉を今、聴いている。 実に遠い昔の物語?とは到底思えないから不思議である。 神さまの言葉は、生きておられる神が語られた言葉であるからだ。

アプリケーション(application)という言葉、最近ではコンピュータ操作に関連する意味合いでお馴染みとなった。 つまりハード(基本的作動)に比べて、ソフトと言えるだろう。 クリスチャンとなった段階レベルである。 そして信仰をベースにし成長しつつ、私達はソフトを使いこなせる様になった。 それは主と、主のみ言葉を実生活でアプライ(apply)出来る(適用する)様になったからだ。 だが、仮にハードのシステムが起動しても、アプリケーションが伴わないと作業は出来ない。 ここに「適用すること」アプライが、実際どれほど大切なものか、お分かりになるだろう。 名詞は動詞にならねば、信仰生活は生き生きして来ない。 すべてにおいてそうである。

クリスチャンは神の賜物を人生で適用することが出来る。 主からの知恵、能力などである。 これらはこの世が教えられないものである。 極めつけは、主からの創造力であろうか。 神は創造主である。だからこの神を信じる者はクリエイト(創造力)が身につく。 と、あなたは信じられるだろうか? 信じられない人はそれまでのものでしかない。 神を信ぜずして、どうして神からの賜物を手に出来よう。 子供でも理解できる理論である。

私達にとって古い(旧)約束は実に大切なものである。 大切であるからこそ、聖書の大半を占めつつ、人々に読まれている。 大切と言う意味は、キリストの降誕と到来、存在、行動、十字架とよみがえり、このすべてが旧い約束の中で語られているからだ。 弥生時代とその以前、そして以後、神さまは新しい約束、やがて到来する新約時代を預言者を通して語られている。 そして神の律法は、救い主到来の絶対不可性を人類に黙示している。 十字架をどう感じるかは、旧約聖書をどれほど知るかによってである。 新約聖書だけで十字架を考えてはならない。

旧約の人々と、その生き様に出会って欲しい。 そこであなたは遠い昔の愛すべき、そして慈しむべき人々に出会い、そしてそこに自分を見出すであろう。 そしてあなたが知ることは、アドベント(待降節)は既に創世記からスタートしているということである。

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