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■ から壷に火を入れて / 士師記7:13~22 (2012-03-18)

March 18, 2012

敵は13万5千人、味方はたったの300人。1対450.・・・果たして何が出来るのか。
 何も出来る筈がない。だからこそ、頼るは神のみである。
こういう場面、人生ではそうそうと無い。
 無いからこそ、実に貴重な瞬間である。
ここぞ!という時に、神に従うことが出来ることは素晴らしい。

 

そしてギデオンは敵陣に突入寸前、確信を持って仲間を鼓舞し叫んだ。
 「勝ったぞ、我々は。敵は我が軍の手中にあり!」
 空の壷には松明。
やがて合図の下に空壷は割られ、左手の松明(たいまつ)は一気に辺りを明るく照らし、角笛は吹き鳴らされ、彼らは大声で叫んだ。
 「主の剣!ギデオンの剣!」真っ暗闇が打ち破られ、角笛が四方八方から鳴り響き、敵陣は右往左往、同士討ちが始まった。
 

 実に痛快な話である、だけでは何も知恵を得られない。
 旧約には旧約の知恵を学びが潜んでいる。
 聖書が語るのだから必ず応用、適用すべき意味が隠されている。
 

 先ず空の壷・・・それは私達自身である。
 私達は空の壷になれば、その中には何だって入れられる。
だが、人間は空っぽを嫌う。
それは無知という意味ではなく、敢えて幼子になることだ。
 私達は「この世の知識、経験、道理」をいっぱい詰め込んだ。
すると、神の国からの知恵など入る余地がない。
 主の前に空っぽになって虫けらになれば、クリスチャン信仰という、こんなに楽な場所はないのに・・・
 

神さまの器になりたいと願いつつ、神の知恵さえ入れる余地は無いのである。
 覚えよう、「この世」とは唯一、誠の神を拒む世界である。
だから、今日まで生きてきた軸足を聖書と主の元に置く決心をしよう。
 

 次は空壷に入れたのは松明の「火」である。
 火は文字通り、聖霊である。
 神のみ声を聞き、信じて従う者を神は決して見捨てない。
 見捨てないどころか、更に熱く燃える聖霊の火を加え足して下さる。
そして聖霊の火は私達の中にある不純物を燃やし尽くす。
 

ギデオン達の勝利には秘訣が三つあった。
 一つ目は空壷と松明の火。空っぽの土の器になったことは神への前面信仰を現した。
だから火は更に輝いた。
 

 二つ目は「主の剣、ギデオンの剣」と叫んだことである。神への信頼の証しであった。
 声を出さなければ、神の力は及ばない。
 

 

 三つ目は神が下さる勝利を確信したことである。
『信仰は望んでいる事柄を保障し、目に見えないものを確信させる』と、ヘブル11:1は言う。
 単に信じたのではない。確信したのである。
 確信こそ、神への最高の捧げものである。
それこそが神の栄光を身をもって現すことになった。
 

イエスさまが言われた。
 「幼子のようにならなければ、あなた方は神の国へ入れない。」(マタイ18:3)
 幼子にはこの世の知恵など無い。体験も無い。道理も分からない。
だからこそ幼子は全面的にイエスさまが好きだし、信頼している。
 主が見ておられるのはそこである。
 

 

 

 

 

 

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