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■ 父たちへ、そしてすべての兄弟たちへ / 第二テモテ4:6~11 (2012-06-17)

パウロという人はまさに「炎のランナー」だった。
 

 命を賭してキリストの福音を語り続けた。
 嵐が来ようと、迫害と試練が次々と波の様にやって来ようと、誰も彼を止めることは出来なかった。
 命燃え尽きる最後まで、彼の目はキリストを見詰め続けた。
 彼は普通の男性であり、彼が信じた主は、私達が信じている主である。
 環境は当時の方がはるかに厳しく今と比べるべきもない程、厳しい環境と時代だった。
 彼は悩み苦しみ、折れそうになっても折れなかった。
 果たして現代の我々男性そして兄弟たちは・・・・。
 

 

 「父の日」が来た。
キリスト者ではあるが、どこかちんまりと言うか、質素と言おうか、エコと言おうか、どうも大胆でない我々である。
たまには疾走する福音ランナーであっても良いではと思うが、どうも先に理性が働いてしまい主に賭けられない。
そしてパスカルの言葉が皮肉にも耳に響く。
 「人は考える葦である。」と。
 更に伝道者は言った。
7:29『私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。』
 

 第二テモテの手紙に様々なキリスト者が登場する。
 一度は信仰が破綻したかの様に思えたマルコ。
 伝道旅行の途中、船旅が終ったとき彼は何を思ったか、同行者達に一人背を向けてエルサレムに帰ってしまった。
その姿は「帰っちゃった」とでも表現したい。
その事により、パウロはマルコに対して大いに失望した。
おかげでマルコを庇うバルナバさえ怒りの矛先を向けられ、とんだ迷惑を蒙った。
しかし、時を経た後、マルコは信用を回復したばかりか、パウロにとって頼りになる弟子となったのである。
そしてマルコ福音書を書き残す人となった。
 

またデマスという人が登場する。
 長い間、パウロの世話をしながら、迫害の旅にもめげず同行した。
パウロの手となり足となり目となって伝道活動を支えた。
ローマでは軟禁状態を数年体験し、パウロにとって実に信頼できる仲間でもあった。
 幾つかのパウロの手紙、その最後にデマスの名は必ず紹介され、称賛を得ていた。
しかし、デマスはパウロの死の少し前、パウロと福音に見切りをつけたのか、はたまたこの世を慕ってか、デマスパウロを捨ててテサロニケに行ってしまった。
 

 確かにキリストを伝える人生に困難はつきものである。
しかし、キリストから離れて神の国へは入れない。
この世を慕い、この世にしがみついても何を得ると言うのか。
そこには絶望と滅びしかない。
パウロが命を賭けたのは、教会の繁栄のためではない。
 人々の救いである。
パウロが死をも恐れず伝道できたは何のためか。
すべての人々が罪赦されて永遠の命を得るためであった。
 

 

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