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■ Open your heart / ヨハネ6:22~35 (2012-07-08)

July 8, 2012

群集はいつもイエスを追いかけていた。
それはイエスに対する好奇心と奇跡を求めていたからである。
あるときは5千とも1万人とも言われる人たちの腹を満たすパンを与えられた。
 彼らにとってイエスの魅力は、そういった現実の今に対する満たしであった。
 現在も人々が求めてイエス(キリスト教会)に行く場合、やはり現実の問題に直面し、困窮した場合であることが多い。
この世のさまに精神的渇きを悟り、失望して教会のドアを開く人は本当に稀である。
 生活が守られていれば、困った問題が特になければ、人間は基本的に神のみ言葉に渇いては来ない。
クリスチャンでさえ、そうである。
 礼拝に、学びに、信仰の交わりに、心から飢え渇き、期待をして教会に行く人がどれだけいるだろうか。
 

 

 追いかけて来た群衆に向かってイエスが言われた。
 『無くなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠の命に至る食物のために働きなさい。』
そして群集はイエスに言った。「それでは神のわざを行うために何をすべきでしょうか?」
イエスは言われた。『あなた方が、神が遣わした者を信じること、それが神のわざである。』
これは実に大切な言葉である。
 私達がイエスを信じること自体、既に神のわざの中に置かれていると仰せられた。
 何かをしたら・・・、何か特別なことをしたら・・・ではない。
 私達クリスチャンは、今既に神の働きの枠内で息づいているのである。
 安心した。。。。実感である。
 

 

 今日一日、自分自身たいしたことはしなかったが、働いて下さった方が主であると気がついた・・・。
それこそが感動すべ気づきではないか。
 今日、身近な場所で不思議なる神の知恵を発見した・・・。
それは何と素晴らしいことではないか。
 考えてみれば、それらすべてが神のわざである。
 

 

 最近、東北に住んでいたある兄弟から一通の画葉書が届いた。
 神学校の入学式に参加した集合写真であった。
2003年、当教会のリバイバル集会に、東北から足を運んでくれて出席したが、集会の後、交わりの中でイエスを受け入れてくれた兄弟である。
 彼は教会と主に仕え、成長された様だったが、去年の大震災の後、永遠の主に呼ばれ、献身し、この四月にめでたく神学校に入学したとのことだった。
 思い起こせば実直というか朴訥というか、好感の持てる彼であったが、その一つの魂と存在にイエスさまはずっと付き添っておられたと知った。
あの厳しい大震災を通して、神の摂理を身近に覚えさせられて、少なからず感動した。
 『汝今知らず、やがて後悟るべし!』ヨハネ13:7節。
 心開かれるなら、神の働きはありとあらゆる時間と場所で為されているのだ。
 実に アーメンである。
 

 

 

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