■ ベストな信仰 / マタイ19:16~30 (2012-07-29)

完全な信仰者など、この世にはいない。 なぜか? 簡単である。 それは生きている最中で、十字架が要らなくなる人間はいないからだ。 私達は生涯死ぬまで、この世を去るまで十字架が必要である。 しかし、ベストな信仰者には為れるだろう。 そう思う。

金持ちの若い役人がイエスの前に現れ、イエスに問うた。 「先生、永遠の命を得るためには、どんな良いことをしたらよいのですか?」 イエスが答えた。 「良いことについて私に問うのか。良い方はただ一人、神だけである。だから神の戒め( 十戒)を守りなさい。」 イエスが 十戒の5番目から10番目を並べると、青年は即座に胸を張って答えた。 「その様なことはすべて守っております。まだ何が足りないのでしょうか」

イエスはじっと青年の顔を見ながら言われた。 「ならば、あなたの持ち物をすべて売り払い、その上でわたしについて来なさい。」 青年は苦しげに、絶望の視線を地面に落とし、淋しげに去って行った。 青年は 十戒のイの一番、『あなたにはわたしの他に、他の神々があってはならない。」さえも守れなかったのである。

クリスチャンとて同様であると思う。 教会生活の継続する中で、なぜか顔は段々と上に向いてしまう。 毎週の礼拝、主をたたえる。主に祈る。やはりこの世の善人ではある。 しかし、どうだろう。 すべて主に従い、喜んでいただける生き方をしているだろうか? 神への背信の日など無い、と言いきれるだろうか? イエスを悲しませる自己虫な選択をしていないだろうか? 自分の楽しみを追い、輝ける生き方をこの世だけに求めていないだろうか?

もし、真摯に自分の考え方と内側を見詰めると、永遠の命をいただいた者なのに、何たる私かと悟らされるのではないだろうか?

しかし、だからこそ、ベストなクリスチャン生活があるのだ。 つまり信仰は神からの贈り物であり、今、こうして祈りと礼拝の日々で生きていられるのも、全面的な神の恩寵のゆえなのである。 恩寵、私の大好きな言葉である。 それは「罪深い人間に神から与えられる無償の賜物」の意である。 自分が誇ることなど一つもない。 なのに、神は愛し、赦してくださっている、この一日も。 ましてや永遠の命までいただいた。 ああ、なんという恵みと祝福、感謝、感謝である。 主よ、感謝します。 そう、これであなたもベストな信仰者である。

詩篇84:5~7 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。

心の中にシオンへの大路があるその人は何と幸せ者か、とある。 つまり、いつも神に帰る人、帰れる人のことである。 そうすれば、試練の谷も、命の泉の湧く場所になるのだ。

あなたは毎週礼拝に出ていますか? 礼拝で生ける主の前に、心を注ぎ出していますか? 教会生活を確立していますか? 毎週教会に行くことは、あなたの権利である。義務ではない。 主は義務で礼拝に来る人など求めない。 私達人間が主を喜ばせるなど、出来はしない。 私達が主を喜ぶことこそ、主が喜んで下さるのだから。

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