■ アメイジング・グレイス / 創世記26:6~13 (2012-10-28)

創世記、実に素敵な書物である。 それはまるで「神話」の様である。 しかし、日本の神話とはまるで異なる。 日本の神話から学ぶものなど全く無い。それは魑魅魍魎の世界であった。

創世記には説教じみた部分が無い。 だから大好きであるが、そういう私はそこから「説教」を書いていると思うと妙な気持ちになる。 創世記はひたすら「裸の人間」つまり、あるがままの人間を大らかに語っている。 仮に今から2700年前に書かれた書物としても、実に傑作そのものである。 そこにやはり、神の御霊に導かれて書かれた書物であるからだ。 創世記、ゆったり流れる時間に生きる人間達と、温かく見守られる全能の神さまの対比がすごい。

聖書は登場人物一人びとりの姿、人間そのものの本質部分を素直に記録している。 彼らが生きた時代とは文明こそ違うにせよ、人間そのものは本質的に現代人と寸分たがわない魂であるとつくづく思う。 ということは、時間が幾ら過ぎて行こうと人間は永遠に本質的部分、すなわち魂において変わらないと思う。

アブラハムの息子のイサクと言う人、確かに憎めない人である。 育ちの良さかも知れないが、近隣の住民との争いごとは徹底的に避けた。 たとえ自分の立場に正当性があるにせよ、敢えて戦うことはしなかった。

ゲラル地方に住んだ時、美しい妻リベカの故に自分の命に危険を感じ、妻を「妹」と偽った。 そのおかげでゲラルの王から命を狙われることは無かったが、思わぬ場面で偽りがばれてしまった。 ゲラルの王、アビメレクはイサクに向かって言った。 「何ということをしてくれたのだ。もう少しで、民のひとりがあなたの妻と寝て、あなたはわれわれに罪を負わせるところだった。」 更に王は民に言ったのである。 「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。」

恥ずかしい限りではないだろうか。 神の契約に生きるイサクは、異邦人からモラルの原点を警告されたばかりか、あるべき姿勢を教えられてしまったのである。 しかし!である。 その後、何が起こったか。 創世記 26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。

イサクの忍耐強さは並みではなかった。 自分を責めて凹むほどのヤワでもなかった。 おそらく来る日も来る日もめげずに穀物の種を蒔いたのだろう。 そしてこれが聖書の世界である。 これが実に我らの神さまのされることなのだと思う。 これぞアメイジング・グレイス(驚くばかりの恵み)の世界。

自分がどういう生き方をして来たにも関わらず、である。 他の人間が神の恩恵を受けるのを見て、何となくそわそわしてしまう私であったとしても、いざ自分が恩恵を受けたときはひっくり返って神をたたえてしまう。 おそらくイサクはそんな思いをしたであろう。

だから、この一日を感謝しよう。 何事も無いかの様に過ぎたときを感謝しよう。 それこそが私達にとってアメイジング・グレイスでもあるのだから。

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