■ 聖霊不在の時代、そして今も相克の時代なのか / 創世記31:29~55 (2012-12-02)

旧約聖書時代、そして現代の世界と日本、一般社会の共通点は何か? それは聖霊不在の世の中、であるということ。 しかし神選ばれし民、イスラエルには少なくとも少数ながらも創造主を信じて生きる人々はいたのである。 それでも当時の人間社会は現代日本と同様?に欲と権力が堂々と横行するのであった。

ヤコブはパダン・アラムに住む叔父ラバンの家で暮らしつつ、その地、誠の神を知らない世界で辛酸を舐めさせられた。 14年間は妻のために、その後の6年間は叔父ラバンのために、汗流す日々の連続であった。 ヤコブは生家の家族関係でも共通した人間の欲といがみ合いは体験していたが、叔父の家では比べようも無い程に厳しい20年だった。

相克という言葉はヤコブとラバンの為にあるようなものだった。 それは「両者が互いにぶつかり合い、打ち勝とうとする」ことである。 しかし、ことの程度の違いはあれど、人間が集まるところで必ず起こるのが相克である。 そして神はその様なドロドロした世界であったにせよ、ヤコブにラバンにも働かれたのである。

相克という言葉はヤコブとラバンの為にあるようなものだった。 それは「両者が互いにぶつかり合い、打ち勝とうとする」ことである。 しかし、ことの程度の違いはあれど、人間が集まるところで必ず起こるのが相克である。 そして神はその様なドロドロした世界であったにせよ、ヤコブにラバンにも働かれたのである。

そして21世紀、クリスチャンが内受したのは、「助け主」(ギリシャ語・パラクレートス)と呼ばれる「聖霊」である。 父なる創造主が派遣された神が「聖霊さま」である。 イエスを信じたその瞬間から、聖霊はその人の内で働きを開始される。 人はその生涯の終わりまで、人と共に生きてくださる。 天国の門に至るまで・・・・

しかし、すべての人間は生まれつき自我と同棲している。 別れたくとも別れられない相手である。 たまに仲良しの日もあるが、実に悩みをもたらす奴であり、また憎み切れない敵でもある。 こいつから解放されたいと思ったら、自死以外打つ手は無いのであるが・・・ 自死しては本も子もない。 パウロは「そいつ」の存在に気づいたとき、「ああ、私は何という惨めな者でしょう。」と嘆いた。 だが、ご安心あれ。 彼は自我から目を離し、キリストの十字架だけを見上げることで「そいつ」に打ち勝つ妙手を導かれた。 ある意味、実に簡単なことであるが人間とは何とも歯がゆい。 キリストによって魂と人生を救われたのだから、その方、キリストに従えば全て解決であるのだが・・。

相克を体験しないクリスチャンはいない。 私の内で自我と聖霊が相克状態なのである。 聖霊に従おうとすれば、自我が戦いを挑む。 自我に従えば、聖霊が痛み悲しむ。それでは平安などまったく無い キリストに従おうとしたら聖霊の助けなくして何も為し得ない。 つまり、主に従うためには誰でも自我との相克に打ち勝つ体験をせねばならない。

平安を求めるクリスチャン、皆、当然である。 主キリストを愛し従いたいと思うのも皆、当然である。 しかし、あまりに多くのクリスチャンたちが「その戦い」において敵前逃亡を計ってしまう。 それが一番楽だから。 私とて、とても他人事では済まされない。 「キリストに近付きたい」と思うだけで「あいつ」がむっくりと頭をあげるのだ。 そう、聖霊に導かれる以外打つ手はないのである。

あなたの内で息づく神の霊を悲しませぬ様に。 あなたの内で脈動する助け主を自我の力で押さえ込まぬ様に。

戦いを覚えたとしたら、それは本当に素晴らしいことである。 相克を覚えたなら、あなたの目をキリストから離さぬ様に。 あなたは聖霊によって勝つ、その体験を重ねるだけで良いのだから。

イエスは言われた。 ヨハネ16:33 『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』

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