■ あなたの深みに漕ぎ出して / ルカ5:1~11 (2013-04-28)

ガリラヤ湖の朝、群集はイエスから神の国の話を聞こうと押し迫っていた。 実に凄いことである。 仮に、である。 今朝、礼拝に集まる人たちが、説教者に押し迫るように聞き耳を立てているとしよう。 すると何が起こるか・・・ 先ず、説教者はその日から取り組む姿勢が絶対変わる! 黙っていても変わる、変わらざるを得ない。 すると、教会が変わる。 そして日本にリバイバルの炎が立ち登る! と、なりたいが・・・ さあ、この日本を変えるのは会衆か、牧師か。。。。 否、どちらでもない。変えるのは聖霊である。 但し聖霊に聞き従う人間がいれば、である。

イエスが脇を見ると、早朝の漁を終えた漁師たちが網を洗っていた。 どうも、その朝は一匹の小魚さえ獲れなかったらしい。 するとイエスはシモンの持ち舟に移られて、シモン・ペテロに向かって言われた。 『もう一度沖に漕ぎ出して、深みに網を降ろしなさい。』 (ここからは私の想像である) シモンは一呼吸おいて、ふと群集に目をやり、次にイエスを見ながら言った。 「先生、俺たちはね、夜通し働いたんですぜ。それでも一匹も取れやしませんでした。 でもね・・先生のお言葉だから、もう一度網を降ろしてみやしょう。」 (そんなシモンの口調を想像してみた。)

そして、シモンはイエスに言われたとおりに深みに漕ぎ出して、もう一度網を降ろした。すると、網には大量の魚が入っていた。 入っていたというより、魚達が網の中に飛び込んで来たではないか、そんな光景であったろう。 おかげで二艘の小舟は沈みそうになった。

それを見たシモンはイエスの前にひれ伏して言った。 「主よ、私のような者から離れてください。私は罪深い人間ですから。」

シモンはつくづくと己が罪を悟らされた。 (いくら何でもプロの漁師に向かって掛ける言葉じゃないだろう。 俺はこの湖で子供のときから働いて来たんだよ。 あんたは確かに偉いお方だけど、ここは俺の庭みたいなもんさ。 獲れる筈なんてねぇだろ?第一さ、皆が見ているだろ?きっと恥かくのはあんただよ。 でもね、いいよ、言われたとおり舟を出して網を降ろすから・・・)

つまりシモンは単に大漁を目のあたりにして驚いたのではない。 イエスの言葉に対して内側に持った自分の感情の醜さを、瞬時に見させられたのである。と、私は感じた。

どうしても人間は自己中心でしかない。 なぜこうも・・・と考えてしまう。 素直にハイ、と言えば良いものを、なにか捻くれてみたくなるのだ。 自分が先立てないとどうも面白くないのである。 「私は何と惨めな人間でしょうか。」を幾度体験しても、一晩寝て起きた朝は、元の木阿弥になっている。 シモンと同じ言葉を吐くしかない。 「主よ、私から離れてください・・・」

主に言われたとおり、深みに漕ぎ出せない理由はなんだろう。 もしかして、深みとは既に私達が持っているものではないだろうか。 仮に相手が誰であっても、口を挟ませない、入れさせないところ。 先ず、ここを認めることが先決かと考える。 たとい暗闇であったにせよ、聖霊の光りだけは拒み続けることは出来ない。 そして聖霊は今夜も囁かれる。 「もう一度、深みに漕ぎ出して、網を降ろしてみなさい。あなたならできるのだから。」

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