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■ 新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れるものです / 第一コリント1:18~25 (2013-06-09)

「救い」という言葉があなたの中でどれほど新鮮な響きで存在しているだろうか?
とても大切なことである。
 「救い」という表現が遠い昔に聞いた過去のものであるとしたら・・・・
 あなたという存在は古い皮袋になってしまっているかも知れない。
 仮にあなたが救われたにせよ、家族や知人は救われただろうか?
 救いとは「成長という未来に向けてスタートした」ということであり、一歩一歩上がって行く階段の初めであるからだ。
 

イエスは言われた。
 「新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れるのです。」
 古い皮袋のままだとすると、新しい葡萄酒の活発な醗酵する力によって袋は破けてしまうからだ。
つまり、古い皮袋の様な人は、いつまで経っても新しい考えかた、生き方に対応出来ずにいるしかない。
 例えば、30年前に感じた一つの聖書のことばの印象が、今日読んだとき更に深く広く沁みこんで来るものであるべきだからだ。
 

もし健常者であるとしたら、見える、聞こえる、喋ることは、私達の思いのままである。
しかし、目と耳が機能を失ったとしたら、どうであろう。
 幼くして病に冒され視力と聴力を失った少女、へレン・ケラー女史はまさにそえれだった。
しかし、13歳にして一つの詩に出会ったとき、彼女の霊的目と耳は開かれたのである。
アルフレッド・テニスン師の書いた詩の言葉が彼女の魂を作り替えた。
 『強き神の御子 永遠に朽ちぬ愛よ。
 我らはこの目であなたのみ顔を拝することは出来ない。
ただ信仰によってのみ 信仰によってのみ理論で証明出来ぬところのものを信じて
神の子をしかと 把握するのです。』
 

 神がヘレン少女の目を開いて下さった。
 同様に神が私達の目を耳を開いてくださらねば、私達にイエスは見えない。
 「見える者が見えなくなり、見えない者が見える様になるのです」と、イエスはヨハネ9章で言われた。
つまり、私達の心が脱皮して脱皮して行かないと、いつまでも古い自分、古い皮袋なのである。
 

 昔、神の預言者エリシャの評判はアラムという国にまで響き渡っていた。
アラムの王が寝室で策を寝る内容まで、エリシャの耳に届いているかの様だったと聖書は語る。
アラムの王はエリシャを抹殺すべく密かに軍隊を送った。
 第二列王記6章
 「神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。
すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。
そして、エリシャは祈って主に願った。
あ「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
アラムがエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。「どうぞ、この民を打って、盲目にしてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って、盲目にされた。
 

 神がしてくださらねば、霊眼は開かれない。
 

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